製薬大手の第一三共は昨年、ジェネリック医薬品(後発薬)を手掛ける子会社を売却した。国の政策的後押しで急成長してきた後発薬市場に、かつて製薬大手はこぞって参入したが、その後に軒並み撤退している。特集『薬不足はいつ終わる?ジェネリック再編』(全6回)の#2では、処方薬の8割を占めるまでになった後発薬から製薬大手が手を引く理由を明らかにする。(「AnswersNews」編集長 前田雄樹)。
新薬メーカーが後発薬から続々撤退
かつてはこぞって参入した歴史
ジェネリック医薬品(後発薬)市場から新薬メーカーが相次いで撤退している。かつてはエーザイや第一三共、田辺三菱製薬といった新薬大手が後発薬事業を行っていたが、競争激化による収益低下でいずれも市場を去った。現在、後発薬を手掛ける新薬メーカーは中堅数社にとどまる。
新薬メーカーの後発薬事業参入が相次いだのは、1990年代後半から2000年代初めにかけてだ。大手では96年にエーザイが後発薬子会社を設立したのを皮切りに、08年に田辺三菱製薬、10年に第一三共と富士フイルムが参入。前後して、明治ホールディングスの製薬子会社、Meiji Seika ファルマや杏林製薬、持田製薬、あすか製薬ホールディングス(HD)といった中堅も本格的に事業を立ち上げた。
新薬メーカーがこぞって後発薬に参入したのは、リスクの高い新薬事業とは別に安定的な収益源を確保したかったからだ。新薬開発は成功率が低く、多額の投資を要する。
一方、特許が切れた有効成分を使う後発薬は開発費が安く、資金的な負担が小さい。新薬メーカーの参入が相次いだ時期は、医療費抑制の切り札の一つとして政府が後発薬の使用促進策を本格化させていた頃で、需要増による市場拡大への期待が高まっていた。当時はまだ後発薬の品質に対する不安が残っており、「新薬品質」をアピールすればシェアを取れるとのもくろみもあった。
特許が切れた新薬(長期収載品)で収益を上げにくくなったことも各社の背中を押した。02年度以降、国は医療費削減のために長期収載品の薬価を薬価改定のたびに大きく引き下げた。後発薬の普及が進めば、その分、長期収載品は市場を奪われて収益が下がるのも明白だった。長期収載品は特に中堅新薬メーカーにとって収益のよりどころだったが、事業環境が厳しくなる中で、新たな稼ぎ口として後発薬に各社が食指を動かした。
こぞって参入した新薬メーカーがなぜ、続々と撤退に転じたのか。次ページでは、その理由を明らかにする。