一方マイケルの代になると、確かにファミリーは巨大なものになっていますが、ファミリーはひたすら解体に向かいます。父母が死に、兄が殺され、妻には子どもを堕胎され、父親代わりだったドン・トマシーノが殺され、最後には娘が殺される。まことに殺伐とした人生です。それはマイケルが父ヴィトーとまったく逆に「共感と理解の上にファミリーを形成しよう」と願ったからだと僕は思います。

 彼は物語の冒頭の家族の食事のテーブルの場面から最後の告解の場面まで、ひたすら「オレの気持ちをわかってくれ」と懇願し続けます。そして、ファミリーの誰も「オレの気持ち」をわかってくれない(わかってくれるのは娘だけ)ことを悲しみ、恨み、無意識のうちに家族につらく当たり、そのせいでみんなマイケルから遠ざかってゆき、最後は家族をすべて失う。

 『ゴッドファーザー』はまことに教訓豊かな映画ですけれども、僕がこの映画から学んだのは、「家族を理解と共感の上に築こうとしてはいけない」ということでした。ヴィトーは感情生活の非常に貧しい男ですけれども、シチリアの男としてきわめて明快な行動準則を持っており、それを身体を張って守っている。

一見無駄に見えるルールでも
遵守することで意味を帯びる

内田:マイケルは父に比べるとはるかに知的で、感情豊かな男ですけれども、彼には死を賭しても守るというような「掟」がありません。マイケルはファミリーのボスとしてさまざまな組織的な決定を下すのですが、その基準は「オレはそう思うから」だけなんです。彼なりの計算ですから、むろん合理性はあるのですが、彼は自分の「内面」を最優先する人間なので、周りの人にはその判断が理解されない。

 ヴィトーは「家族のために死ぬことができる人間」であるという誓言によって、巨大な家族を形成しました。マイケルは「そのつどの自己利益を最大化するためには家族を殺すこともできる人間」だったので、気がついたら家族は瓦解していた。