変化のなかで成長を続けてきた日本
前回述べたように、日本の成長力を高めるためには、産業間、企業間の経済資源の移動を活性化させることが必要である。
経済成長というと、既存の企業や産業が生産力を高めるというイメージを持つ人が多いかもしれない。しかし、現実の成長経済を見れば、生産性の低下している産業から高い生産性を期待できる産業に、資本や労働が移動することのほうが重要である場合が多い。また、同じ産業内でも、競争力の落ちた企業が淘汰され、競争力の高い企業や生産者に資源が移動していくことが大きな意味を持つ。
戦後日本の産業発展の軌跡にも、そうした点が顕著である。戦後からしばらくは、日本の産業の中心は繊維などの軽工業であった。これらは重要な輸出産業として、経済復興を支えてきた。
しかし、日本が本格的に高度経済成長に入っていくころには、重化学工業化が進み、鉄鋼や石油化学などの産業が成長の原動力となった。政府は積極的に重化学工業化を推進した。こうした産業が中心にならなければ、高度経済成長は実現しなかっただろう。
日本の産業構造が次に大きく変わるきっかけとなったのは、1970年代に2度起きた「石油ショック」である。石油をはじめとする資源価格が高騰することで、重化学工業は構造不況業種になってしまった。
しかし、この時期に日本の産業構造が重厚長大から軽薄短小にシフトしたことで、日本は新たな発展のステージを迎えることになる。自動車産業が日本の主力産業としての位置を確立するのは、1980年代になってからのことである。
現在の日本経済が、上で取り上げたような大きな産業構造の変化と同じくらい重要な転換期に直面していることは間違いない。日本経済を取り巻く環境は大きく変化している。
高齢化と人口減少、アジア近隣諸国の急成長による旧来の製造業における競争激化、アジア市場の中間所得層急拡大によるビジネスチャンスの増大、ITなどの分野における急速な技術革新、などである。
こうしたさまざまな環境変化を前提として考えれば、日本の産業構造が大きく変わらないはずはない。生産性の低い産業から高い産業へと産業構造の中心が移っていき、日本はより高い生産性と成長率を確保できるようになるはずだ。