1870年に岩崎弥太郎が海運事業を起こしたことから始まった三菱財閥。戦後の高度経済成長期に事業の多角化などを成功させて老舗の三井、住友グループを抜き去り、日本随一の最強集団にのし上がった。その土台をつくり上げた創業家の手腕とはいかなるものだったのか。特集『三菱・三井・住友 揺らぐ最強財閥』の#7では、「週刊ダイヤモンド」2016年1月30日号の記事を再編集し、三菱が飛躍できた理由について、知られざる岩崎家4代の歴史からひもといていく。(ダイヤモンド編集部 澤 俊太郎)
独裁経営で重工業化に成功
岩崎4代の成り上がり伝説
400年の歴史を持つ三井、住友に対し、三菱の歴史は140年余りにすぎない。三菱が短期間で最強財閥に成り上がった理由は、時代の変化に対応した岩崎4代の独裁経営にある。
三菱の歴史が語られるとき、必ず名前が挙がるのが創業者の岩崎弥太郎だ。
土佐藩の貧乏浪人でありながら、わずか一代で三菱財閥を築いた英雄。あるいは明治政府の要人に莫大な賄賂を贈り、巨万の富を得た政商──。その毀誉褒貶は、没後130年以上が経過した今も相半ばする。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」では、ボサボサの髪で、ボロボロに破れた服を着て鳥籠を売り歩く姿が描かれ、多くの国民に認知されるところとなった。その評価はともかく、金も地位もなかった裸一貫の弥太郎が、幕末の動乱期にその商才と独裁経営で頭角を現した傑物であることは間違いない。
しかし、三菱よりもはるかに歴史が長い三井、住友を凌駕し、最強財閥をつくり上げたのは弥太郎一人の力ではない。
次ページでは、財閥の飛躍的な成長に向けて、弥太郎の後継者たちが実行した事業拡大へのしたたかな戦略をひもとく。また、三大財閥で、ライバルの三井や住友が三菱のような強烈な成長を成し遂げることができなかった理由も解説する。