黒田東彦の世界と経済の読み解き方黒田東彦氏が小学1~4年生の時に暮らしていた神戸市。今でも時折訪れ、かつての同級生と会っているという Photo:PIXTA

幼少期の環境と学びは、その後の人生を大きく左右する。前日本銀行総裁の黒田東彦氏が執筆するダイヤモンド・オンラインの連載『黒田東彦の世界と経済の読み解き方』の今回のテーマは、「神戸と東京の教育」。黒田氏が育った神戸と東京での思い出と学んだこととは?

小4まで学んだ神戸の教育レベルの高さ
引っ越した東京の小学校では級長に

 私は1951~54年に神戸市東灘区に住み、神戸市立本山第二小学校に1年生から4年生まで通った。この小学校は、谷崎潤一郎の『細雪』にも出てくる由緒ある学校であり、戦前に建てられた鉄筋コンクリート3階建ての堂々たる校舎だった。

 本山第二小学校で最も印象に残っているのは、3年生の時の担任だった鈴木正二郎先生である。生徒を仁川へのピクニックや、出身校の神戸大学の学園祭に連れていってくれた。今どきの教師は、リスクを考えてこうしたことをしないだろう。さらに鈴木先生は、生徒を数人ずつ自宅に呼び、百人一首のようなゲームをさせたり、本を読ませたりすることもあった。

 父の転勤で小学校5年生の時に東京に引っ越し、世田谷区立多聞小学校に通うことになった。東京に移転して最初に気付いたことは、水道水がカルキ臭もあってまずいことだった。また、神戸では野菜を売る店と果物を売る店は別だったのに、世田谷区では青果店で野菜も果物も売られていたことが当時の私には新鮮であった。

 さらに意外だったのは、関西弁が抜けない私が、多聞小学校で級長に選ばれてしまったことだ。本山第二小学校の教育レベルは多聞小学校よりも高かったのだと実感した。

 多聞小学校では、担任の山田豊子先生が自宅に呼んで補習をしてくれた。こうしたこともあって、57年に東京教育大学附属駒場中学校(教駒、現在の筑波大学附属駒場中学校)に入学できたのである。