志賀見聞録 自動車産業の半世紀とミライリーマンショック対応に追われた日産自動車。危機対策会議では、カルロス・ゴーンの怒号が毎週のように響いた(写真は2009年5月、09年3月期決算の記者会見) Photo:Junko Kimura/gettyimages

「CP(コマーシャルペーパー)が札割れしています」。財務担当役員の一言で、日産自動車は会社存続の危機に直面した。リーマンショックは、資金繰り悪化、自動車需要の蒸発、急激な円高という“三重苦”となって、一瞬にして日産を未曽有の危機に追い込んだ。連載『志賀見聞録 自動車産業の半世紀とミライ』の第14回【過去編8】では、日産ナンバー2だった志賀俊之氏が、リーマンショックの最前線で繰り広げられた危機対応の舞台裏と、そこから得た教訓を語る。(日産自動車元COO〈最高執行責任者〉 志賀俊之)

>>第1回【過去編1】「ゴーンさんが羽田空港で逮捕されたらしいです」(2018年11月19日)から読む

>>第6回【ミライ編1】ホンダがEV戦略見直しで「2.5兆円損失」を発表した日(2026年3月12日)から読む

スイス・レマン湖で感じた
米国発「パリバショック」の正体

 43年間の日産自動車人生の中で、私は3度の金融危機を経験した。1度目は、1990年のバブル崩壊、2度目が本連載でも触れた97年のアジア通貨危機(『なぜ日産はインドネシア市場でトヨタに完敗したのか?現在も首位独走のトヨタに対し「3度の撤退戦」を経験した元日産COO志賀俊之氏が得た教訓』参照)。そして3度目が2008年のリーマンショックである。

 今から思い起こすと、この三つの危機には共通して予兆があった。一口で言うと、実体経済に合わない景気過熱である。低金利であふれた資金が不動産や株式へ流入しバブルを生み、何らかのきっかけでバブルが崩壊する――。金融危機はいつもそんな流れで起きていたと思う。

 バブル崩壊もアジア通貨危機も、私は現地でその過熱と異変を肌で感じたが、リーマンショックだけは少し違った形で、その「前触れ」を知ることになった。

 07年8月9日、私は休暇でスイス・ジュネーブを訪れていた。レマン湖を望むワインバーで、プライベートバンクに勤める知人とスイスワインを味わっていると、彼が急に真剣な表情になった。

「今日、仏BNPパリバが投資信託の解約を凍結した。米国の低所得者層向け住宅ローン“サブプライムローン”の焦げ付きが増えていることが理由だ。この影響は世界中に広がるかもしれない」

 後に「パリバショック」と呼ばれる出来事である。

 彼は、サブプライムローンが金融工学を駆使して生まれた複雑な金融商品であり、それが世界中で売られている仕組みについて説明してくれた。正直に言えば、その仕組みはほとんど理解できなかったが、一つだけ忘れられない言葉がある。