中国BYDが初となる軽EV「RACCO(ラッコ)」で日本市場に大攻勢をかける。商品企画を統括する田川博英氏(右)と筆者中国BYDが初となる軽EV「RACCO(ラッコ)」で日本市場に大攻勢をかける。BYDオートジャパンで商品企画を統括する田川博英氏(右)と筆者 Photo by Fusako Asashima

世界一のEV(電気自動車)メーカー、中国BYDが日本市場に軽EV「RACCO(ラッコ)」を投入した。日産自動車元COOの志賀俊之氏が実際に試乗して驚いたのは、軽自動車とは思えない走りや装備の完成度だった。自動車産業参入からわずか20年余りで世界販売6位まで駆け上がったBYDは、なぜこれほど強くなったのか。連載『志賀見聞録 自動車産業の半世紀とミライ』の第17回【ミライ編8】では、志賀氏が自動車メーカーへ警鐘を鳴らしつつ、BYDが急躍進した「2つの秘密」を独自の視点で読み解く。(日産自動車元COO〈最高執行責任者〉 志賀俊之)

>>第1回【過去編1】「ゴーンさんが羽田空港で逮捕されたらしいです」(2018年11月19日)から読む

>>第16回【ミライ編7】ホンダも日産もトヨタも…世界を技術でリードしてきた日本車が最新技術で勝てなくなった「最大の理由」(2026年5月29日)から読む

40年前の米国「覇者の驕り」
日本メーカーは教訓とできるか

 プラザ合意後の金融緩和で日本がバブル景気に沸いていた1986年、米国の著名なジャーナリスト、デイビッド・ハルバースタムの代表作『覇者の驕りー自動車・男たちの産業史(原題はReckoning:報い)』が話題となった。

 翌87年には、同書を基にNHKがドキュメンタリー番組『自動車』を全4回にわたって放映した。私は録画して何度も見たので、その内容は今でも鮮明に記憶に残っている。

 舞台は70年代。デトロイト・ビッグスリーの一角である米フォード・モーターと日産自動車を比較しながら、自動車産業における米国の衰退と日本の躍進が対照的に描かれた。

 米国のハイウエーをV8エンジンの大型車が排気ガスをまき散らしながら走る一方で、その脇を日本製の小型車が軽快に走り抜けていく。日本車が徐々に米国市場に受け入れられ始めた頃、デトロイト・ビッグスリーの首脳陣は「あんな小さな車に米国人が乗るわけがない」と高をくくっていた。

 そうした慢心が環境性能や燃費で日本車に後れを取り、「米国でしか売れないアメ車」を生み出す要因になった。ハルバースタムは、日本車を見くびったその姿勢を『覇者の驕り』と書き記したのである。

 7月28日、世界最大のEV(電気自動車)メーカー、BYDが軽EV「RACCO(ラッコ)」を発売した。日本の軽自動車規格に合わせて開発した、日本専用モデルである。

 売れ筋のスーパーハイトワゴンで、両側電動スライドドアを備える。最も驚いたのは、日本メーカーが対応で遅れを取るOTA(Over The Air。リモートでアップデートする機能)やSDV(ソフトウエア定義車)の考え方が、このRACCOにはすでに採用されていることだ(日本メーカーの劣勢については、本連載の#16『ホンダも日産もトヨタも…世界を技術でリードしてきた日本車が最新技術で勝てなくなった「最大の理由」――日産元COO・志賀俊之氏が喝破』参照)。

 現在、多くの日本車では、リモートでアップデートできるのはナビゲーション地図程度だが、RACCOはナビやインフォテイメント(IVI)にとどまらず、運転支援機能(ADAS)やパワートレインなどの走行性能に関わるソフトウエアまでアップデートできるという。

 私は発表会当日にRACCOに試乗し、BYDオートジャパンで商品企画を統括する田川博英氏に説明していただける機会を得た(解説動画『「軽自動車とは思えない」BYD初の軽EV「ラッコ」が狙うのはトヨタ・ホンダの登録車【志賀見聞録】』参照)。

 EVならではのモーターによる力強い加速と、床下の電池による低重心化で実現した優れた操安性がまず印象的だった。さらに、高いボディ剛性と完成度の高い足回り、サスペンションの俊敏な動きが相まって、軽自動車とは思えない重厚な走りを実現していた。わずか2年半という短期間で、車体もシャシーも全てを新規開発したとは信じ難い出来栄えである。

 40年前、デトロイト・ビッグスリーは日本メーカーを過小評価し、大きな代償を支払った。今、迎え撃つ立場となった日本メーカーには、この歴史を教訓とすべきである。

 その上で、世界のEVリーダーとなったBYDを正しく評価し、技術と商品力で真っ向から勝負してほしい。