志賀見聞録 自動車産業の半世紀とミライ1999年のルノー・日産アライアンス締結後、箱根で開催された協業プロジェクト会議の休憩時間に、ルノーのルイ・シュバイツァー元会長(左)と歓談する筆者

1999年に始まったルノー・日産アライアンスは、世界でも類を見ない企業連合として注目を集めた。その礎を築いたのが、仏ルノー元会長兼CEOのルイ・シュバイツァー(故人)だ。彼は日産自動車を「子会社」ではなく、「対等なパートナー」として扱うことに強くこだわった。しかし、その理想はなぜ実現できなかったのか。連載『志賀見聞録 自動車産業の半世紀とミライ』の第12回【過去編6】では、実際に見聞きしたエピソードを交えながら、シュバイツァーが描いた“幻の企業連合像”と、その挫折の真相を読み解く。(日産自動車元COO〈最高執行責任者〉 志賀俊之)

>>第1回【過去編1】「ゴーンさんが羽田空港で逮捕されたらしいです(2018年11月19日)」から読む

>>第5回【過去編5】中国・東風汽車と電撃提携をした日(2002年9月19日)から読む

仏政府から「不可逆的な関係」
シュバイツァーが目指した理想像とは

 2018年2月、仏ルノーの筆頭株主であるフランス政府は、カルロス・ゴーンCEO(最高経営責任者)の任期を22年まで4年間延長する条件として、日産自動車との「不可逆的な関係(後戻りのできない関係)」の構築を求めた。日産側はこれを事実上の経営統合要求と受け止めていた。

 この要請は、その後の混乱の出発点となる。詳細な経緯は別稿に譲るが、本稿では、約20年続いたルノー・日産アライアンスが、なぜフランス政府でさえ「フラジャイル(壊れやすい)」と懸念する企業連合になったのか、その背景を振り返ってみたい。

 昨年の11月6日、ルノーの元会長兼CEOのルイ・シュバイツァーが逝去した。訃報に接した際に、知り合いの記者から追悼コメントを求められた。

 私は、本連載『志賀見聞録』の過去編2『【大型新連載】日産元COO志賀俊之氏が27年前の「ルノーとの交渉の舞台裏」を初告白…ダイムラーと突然の破談!ルノーと決裂なら日産消滅、猶予20日の最終決戦』)で執筆したエピソードを紹介させていただいた。ルノー・日産アライアンスの成立を支えたのが、シュバイツァーの紳士的で寛容な姿勢だったという話である。

 1999年のアライアンス締結から約20年。ゴーンの逮捕と国外逃亡を経て、アライアンスの在り方は大きく変わった。当初の包括的な提携からプロジェクトごとに協業の可否を判断する「是々非々」の関係へ変わった。

 こうした変化を、シュバイツァーはどのような思いで見つめていたのだろうか。彼が描いていた“アライアンスの理想像”とは何だったのか。そして晩年は、自らの後継者にゴーンを選んだことを悔いていなかったのだろうか。

 一度は直接尋ねてみたいと思っていたが、その機会は永遠に失われてしまった。だからこそ本稿では、当時を振り返りながら、私なりにシュバイツァーが目指したアライアンスの理想像を考えてみたい。