よいものを素材に使ってつくった「もの」は、果たして誰にでも受け入れられるものとなるのだろうか? せっかくニーズを踏まえたとしても、たとえば高価だったり、オーバースペックだったりと、現地で受け入れられていない「もの」も多い。
一方で、いま途上国では「ゴミ」を「素材」「資源」にした、まさに産業革命とも言える事態が起こっている。そこで目にするのは、アイデア次第でゴミだって立派な資源になることであり、そこから生まれるものづくりが、現地の社会問題を解決しているその姿である。
今回は、〈デザイン〉〈リサイクル産業〉〈ファブラボ(Fablab)〉という3つの切り口から、「ゴミという資源・素材」を使った問題解決型ものづくり「ソーシャル・ファブリケーション」の実態を紹介しよう。
フィリピンのスラムに落ちているもの、それはゴミか、資源か?
世界のどこにでもあるものが「リソース」になるとき
フィリピンの首都、マニラ北部のトンド地区には大規模な廃棄物の投棄場がある。広さは2万平方メートル以上。1日に300台のトラックがやってきて、マニラ市の各地からレジ袋や果物の皮、魚のはらわた、ニワトリの骨、携帯電話の箱などを運び、焼却せずにそのまま捨てている。
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2010年11月、スラムの生活を知るためのスタディツアーに参加して、この投棄場を訪れた。事前に映像で見ていたものの、ハエとカラスと野犬がたかる不潔なゴミの大地は、空調の効いたホテルに引き返したくなる気持ちをもたらすのには充分すぎるほどの場所だった。そこに価値などいっさい「ない」ように見える。
しかし、そんな気持ちよりも強く湧いてきたのは、投棄場にいる人々への興味だった。不毛に見えるその大地には、視界に入るだけでも数百人がいた。周辺にはスラムが広がり、2万人を超える人々が暮らしているという。彼らは、収集車が新たにゴミを投棄すると、歓声を上げて、我先にと先端の曲がった棒を使ってゴミ山を探りだす。これ以上ゴミが増えて、いったい何が嬉しいのだろうか。
ゴミ拾いをしていた青年に尋ねれば、答えはシンプルだった。「お金になるから」である。彼らは鉄くずや空き缶、空き瓶、ペットボトル、プラスチック、ビニール袋などを探し、集め、屑屋に売却することで生計を立てているのだ。
彼らが歓声を上げるのは、そこに「資源」が「ある」と見ていたからだ。ここに何の価値も「ない」と思ったのは僕らスタディツアーの参加者だけだった。収集車によって「ゴミ」が増えただけでなく、新たに「資源」が到着したのである。
世界のどこにでもゴミは大量に落ちているものだ。僕は、東南アジアの各国で実際にゴミを拾ったことがある。東南アジア最貧国である東ティモール、そのなかでもとりわけ貧しい地域にすら、プラスチックゴミや空き缶、ペットボトルが落ちており、30分ほどで45リットルの袋がいっぱいになった。
これはもしかしたら、貧困という大きな問題を抱えているその場に、大きな資源が眠っている、ということなのかもしれない。今回は、この「ゴミという資源・素材」を使った問題解決型ものづくりを、〈デザイン〉〈リサイクル産業〉〈ファブラボ(Fablab)〉という3つの切り口から紹介したい。