「財政不安で円安」は
根拠なき俗説

 25年以降のドル円相場は図表1が示す通り、10年物日米国債の利回りで見ると金利格差が縮小しているにもかかわらず、円安・ドル高が進行している。そのため高市内閣の掲げる「積極財政の方針」が日本の財政の先行きに対する投資家の不安を引き起こし、日本国債からの資金逃避と円売りになっているという意見が一部筋から出ている。

 しかしこれは、関連する事実に照らせばつじつまの合わない説だ。例えば日本の財政赤字の拡大予想で日本国債に不安が生じているならば、それは債券のデフォルトリスクを回避できる日本国債のCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)のプレミアム(保険料)が真っ先に拡大するはずだ。

 ところが日本国債の期間5年契約のCDSプレミアムは現在26.9bp(ベーシスポイント、7月29日時点)であり、これは20年以降15bpから30bpのレンジにとどまっており、特段の拡大を見せていない。

 しかも12年には100bpを超えている時期があったが、この時は逆に1ドル=80円の円高だった。また米国の同プレミアムは現在36.0bpであり、日本を上回っている。

日本株の急騰が円売りの
要因という逆説

 本稿で語るのは円安の第三の要因だ。実は為替相場の変動を国際収支という内外間の各種資金フローの変化で説明することには限界がある。なぜなら実際の資金フローをはるかに超える取引が先物為替取引残高として積み上がり、その変化が為替需給を大きく動かしているからだ。

 こうした先物為替取引は、資金決済日を将来の日付にしたオフバランス取引だ。米国のシカゴ商品先物取引所のような取引所で上場取引として行われている部分もあるが、それは全体の一部に過ぎない。大半の先物為替取引は顧客と銀行間の相対(あいたい)取引で行われている。しかしそれらを集計し、時系列の変化をたどれるような統計は存在しない。

 ここでの問題は、海外からの対日証券投資も、日本からの対外証券投資も、相互に積み上がっているある程度の部分が、先物為替取引による為替リスクヘッジ付きで行われていることだ。これを日米間とドル円に限定して考えてみよう。

 まず米国の投資家が日本株に為替相場変動リスクゼロで投資する場合は、直物でドル売り・円買いを行い、同時に例えば期間1年先物で同額のドル買い・円売りを行う(為替スワップ取引)。

 ところが日本株が大きく上昇した場合には、米国の投資家が保有する日本株の円価金額が増え、当初締結した先物の円売り金額を超えてしまう。そこで追加で先物の円売り・ドル買いが必要になる。

 日本の株価が上がるほどこの先物の円売りは増える。逆に日本株が下落すれば、先物取引残高を減らすために円買いが必要になる。

 一方で日本の投資家の対米株式投資もある程度の部分は為替リスクヘッジ付きで行われている。この場合は上記と逆に直物でドル買い・円売りを行い、先物で同額のドル売り・円買いを行う。

 米国の株価が上がれば、為替のリスクヘッジを続ける限り、追加の先物のドル売り・円買いが必要になる。逆に米国株が下落すれば、ドル買い・円売りが必要になる。

 こうした日米間の為替リスクヘッジ付きの追加取引はドル円相場の売買の向きが反対である。したがって、対象となる投資残高が日米双方同額で、日米の株価の変動も同じならば相殺し合って為替相場への影響は生じない。

 しかし過去1~2年のように日本株の上昇率が米国株(ドルベース)の上昇率を大きく上回る場合は、米国投資家による追加の先物でのドル買い・円売りの規模が、日本の投資家のドル売り・円買いを上回り、円安要因になる。

 同じ状況は13年のアベノミクスによる日本株急騰時にも見られた。逆に日本株の下落率が米国株の下落率を上回る場合には、ヘッジ目的の追加の円買いが生じる。

 しかし既述の通り、内外の先物取引残高の変動については統計がないので、直接的な検証ができない。ただし一定の仮定を置いた上での推測なら可能だ。

 24年末時点の米国の対日証券投資で株式投資残高は円換算で180兆円、逆に日本の対米同残高は136兆円だ(財務省、本邦対外資産負債残高)。

 一般に年金運用など長期の対外株式投資は為替リスク非ヘッジが主流だと考えられているが、どれほどが為替リスクヘッジの対象になっているかは分からない。仮に双方投資残高の3割がヘッジ対象だと仮定しよう。

 また、24年末から26年6月末までのTOPIX(東証株価指数)の上昇率は43.4%、一方S&P500の上昇率(ドルベース)は27.5%と日本株上昇率が相対的に高い。

 以上を基に過去1年半に生じた先物での追加ヘッジを試算すると、米国サイドからの円売りは23.4兆円(=180×0.3×0.434)、日本サイドからの円買いは11.2兆円(=136×0.3×0.275)であり、差引12.2兆円の追加の先物での円売りが出たことになる。

 同様の計算を25年末~26年6月末の期間について行うと差し引きで6.7兆円、月間1.1兆円の追加の円売りが生じた試算になる。

 この円売り規模をどう考えるか? 「東京市場だけで直物のドル円売買高は月間200兆円以上もあるので、月間1兆円、年間10兆円規模のドル売り、あるいはドル買いはほとんど相場に影響しない」と考える人がいる。これは間違いだ。

 外為売買高のほとんどは非常に短期的なトレーディングからなっており、こうした売買は短期的に売買が相殺されてしまう。そのため相場の短期的な揺れは起こすが、相場水準自体を持続的に変化させるものにはならない。

 一方、新規の対外投資やヘッジ取引はサイクルが長く、数カ月かそれ以上持続する相場水準の変化を生む。筆者の経験では何かしらの取引カテゴリーで、年間で10兆円程度の一方向への新規の需給変化が起こると、何かそれを相殺する別の要因が働いていない限り、相場水準は目に見えて変化する。

日米株価比率の変動と
ドル円相場に相関関係あり

 以上は仮定を置いた上での推測であり、投資家の先物取引残高のデータが利用できない限り直接的な実証はできない。しかし、間接的な検証は可能だろう。

 ここまでの推測が正しければ、日本の株価指数(TOPIX)が米国の株価指数(S&P500)に対して相対的に大きく上昇した局面では円売り超過になり、為替相場を円安に動かす。逆に日本株が米国株より相対的に下落した場合には円買い超過になり、円高になるはずだ。

 つまりTOPIX/S&P500の倍率(以下「日米株価倍率」と呼ぶ)の変化とドル円相場の間に、日米株価倍率上昇(低下)ならドル高(ドル安)という正の相関関係が見られるはずだ。

 そこでドル円相場の前年同月比の変化(%)をオレンジ線、日米株価倍率の水準(濃い青色線)とその前年同月比の変化(%)を水色線で示した図表2をご覧いただきたい。

 これを見ると日米株価倍率とドル円相場の変化(前年同月比)の山谷がよく重なっている(相関している)ことが分かる。近年では日米株価倍率は、22年年初を底に上がり始め、特に25年半ば頃からの上昇が著しく、それに伴ってドル高・円安が進行している。

 そこで20年1月~26年6月の期間について、ドル円相場の前年同月比(%)を対象(被説明変数)に、(1)日米株価倍率(TOPIX/S&P500)の前年同月比(%)、(2)日米金利格差(米国債10年物利回り-同日本国債利回り)の前年同月比(差分)の二つの変数(説明変数)で回帰分析してみよう。

(2)の日米金利格差の変化だけを使った単回帰分析では、説明度を示す決定係数は0.55だ(説明度55%)。また(1)の日米株価倍率の変化だけでは、やはり説明度は30%でしかない。ところが二つの変数を使用した重回帰分析では、説明度が65%まで向上した。両変数のドル円相場の変化との関係性も、高いレベルで有意(関係性が偶然ではない)だ。

 両変数のドル円相場との関係性は、日米株価倍率の前年同月比10%の上昇(下落)は、ドル円相場の同3.0%のドル高・円安(ドル安・円高)に対応している。また日米金利格差1%の拡大(縮小)は5.4%のドル高・円安(ドル安・円高)に対応している。

 図表3にドル円相場の前年同月比の実績値(青色の折れ線)と重回帰分析の結果で得られたその推計値(水色の折れ線)を示した。ドル円相場の変動の山谷と推計値がよく重なっている。

 したがって、日米間の為替相場リスクヘッジ付き株式投資残高から生じる追加ヘッジ操作がドル円相場の変動要因として働いており、特に直近の局面では日本株の米国株に対する相対的な上昇率の高さから生じた先物の円売りが、円安の一つの要因として働いている可能性は高いと言えるだろう。

 言い添えると、筆者は「円安→日本株高」という反対の因果関係も否定してはいない。日本のグローバル大企業の海外での外貨収益は円安で増加し、利益率が向上するからだ。経済・金融の各種の要因は循環的な関係にあることが多い。

日本株が米国株以上に
下落する場合は円高になる

 今後の相場動向への教訓としては、日本株が米国株以上に下落する(日米株価倍率が低下する)局面では、ヘッジ調整のために先物でのドル売り・円買いが生じることだ。

 ただしここで読者の中には6月から7月現在にかけて日経平均株価が米国株より大きく下落しているにもかかわらず、8月の日米介入まで円高方向への変化がほとんど起こっていなかったことに疑問を感じる方がいるだろう。

 実は日経平均株価は日本の株式市場全体を代表する株価指数としては控えめに言っても不適切な指標だ。なぜなら構成銘柄の時価総額の変化を反映しておらず、値がさ株の影響が大き過ぎるなど計算方法が特殊過ぎるからだ。同じことは米国のダウ平均についても言える。

 構成銘柄の時価総額の変化を反映した計算方式であるTOPIXやS&P500の方が、株式市場を代表する指数として適合性が高い。筆者が回帰分析でTOPIXとS&P500を使用したのはそのためだ。

 実際、6月の高値から7月29日引け値までの各指数の下落率は、日経平均マイナス15.6%、TOPIXマイナス3.2%、S&P500マイナス4.0%であり、TOPIX/S&P500はほとんど変化していない。

 また、円ユーロ相場、日本ユーロ圏間についても、日米間と同様の関係が働いていると考えられる。円相場が世界の事実上の基軸通貨である米ドルや欧州経済圏の統一通貨であるユーロとの関係で円安に振れれば、その他通貨に対しても円安に傾斜する傾向があると考えてよいだろう。

 今回の日米協調介入による円安修正が果たして持続的なものになるかどうか、それを判断する上で、日米金利格差の変化に加えて、AI・半導体ブームの今後の展開が日米株価にどう作用するかが、注目点になるだろう。