イラン・テヘランで掲げられている反米、反イスラエルの看板イラン・テヘランで掲げられている反米、反イスラエルの看板 Photo:NurPhoto/gettyimages

米国イラン停戦合意は1カ月で“破綻”
海峡封鎖の開放うまくいかず米国に焦り

 米国とイランの停戦・和平協議は、ホルムズ海峡の航行回復をめぐって、一度は合意が成立し、覚書に双方が署名したが、その後、相手の停戦覚書合意違反を主張して、再び攻撃や報復を繰り返し、停戦合意は事実上、失効した。

 とりわけホルムズ海峡の通行を元に戻す問題では、海峡を管理する権利を主張するイランに対して、米国は逆封鎖を実施し、自らも海峡の管理に参画しようとしている。

 トランプ大統領は、イランに対抗して、米軍による「海峡再封鎖」を宣言、米軍の庇護(ひご)のもとに通過する商船の輸送貨物の「20%の対価支払い」を求めるとした一方、翌日にはその方針を取り消すなど、混乱した発言を繰り返している。

 思い通りにならない焦りが、振幅の激しい発言や一貫しない姿勢に表れており、イラン側はそうした米国の“弱み”をみすかして、ホルムズ海峡の支配権を強化しようとしている。

 2月28日に始まった、米国とイスラエルによるイランへの攻撃は、圧倒的な火力と、イランの最高指導者ハメネイ師や革命防衛隊幹部の居場所を的確に把握するというインテリジェンスによって、米国とイスラエルの圧勝で短期決戦になると思われていた。

 しかも、昨年の12月から続いたイランの反体制運動は、経済的な困難にあえぐ商店街の店主たちをはじめ、全国的に広がった大規模なものだっただけに、米国は長年の懸案であるイランの核開発の根を絶つとともに、イスラム共和国体制の指導部を軒並み殺害し、これまでの反米、反イスラエル国家から親米、親イスラエル国家へと「体制転換」することをもくろんだと考えられる。

 しかし、これらの期待は、何一つ実現しなかった。イランの政治体制は1979年の革命と、それに続く、イラン・イラク戦争によって鍛えられ、47年間維持された体制であり、繰り返される反体制運動を何度も力で抑え込んできた。指導者を失えば、その代わりとなる人物を選び出し、体制は継続される。

 米国は、1月にベネズエラへの電撃的な軍事介入を行い、マドゥロ大統領夫妻を拘束し、ロドリゲス副大統領を暫定大統領として据えることで、反米国家が親米国家へ転換したという「成功体験」もあった。

 トランプ大統領は、イランでも同じように指導部を排除することで、体制転換をせずとも米国に従順な国家が生まれると期待した可能性も否定できない。

 イラン攻撃は、こうした楽観に基づいて始まったことだが、この戦争は単なる米国の拙速な判断による失敗した軍事介入というだけにとどまらない。

 これまでは、軍事力や経済力が、国力や戦争遂行、国際秩序形成の第一の要素だったが、イランのホルムズ海峡の封鎖は、原油価格高騰を呼び、米国だけでなく世界経済を巻き込む打撃となった。軍事力よりも経済的な威圧をする能力、「地経学的なパワー」が、より大きな力を持つことがあることを示した歴史的に大きな意味を持つ戦争といえる。

 だが、こうした地経学的なパワーの解放は、トランプ自国第一主義が招いた面もあり、その意味では米国には二重の意味で誤算となった。