平均月収は2000~4000ペソ。1ペソ=約2.5円のレートで換算すれば、多くても1万円程度の収入で、サトウキビの収穫時期を除けば、糧を得る術のない生活だ。

「病気になっても病院へ行けず、家が壊れても修理できない生活を強いられている人たちを見て、何か自分にできることはないかと、真剣に考えさせられました。貧困支援にも様々な形がありますが、たいてい一時的なものばかりで、どちらかというと自分たちの勉強のための支援になってしまっている現状にも疑問を持ちました」

 スタディツアーのような形に留まらず、もっと地域の人々の人生に責任を持った支援の形もあるはず。そう考えた峠さんは、ネグロス島滞在中に「Chada」と名付けたプロジェクトを立ち上げた。Chadaとは現地の言葉で「とても良い」という意味で、地域で作られる“良いもの”を商品化し、収穫期以外の時期の収入源を作ることが目的だった。

 具体的には、地域で栽培されたコーンを原材料にしたお茶を開発したり、ミサンガを製造したり。農閑期の有効活用はもちろん、観光客とサトウキビ農家の架け橋を作りたい一心からの行動だった。

学生時代に経験した「国際協力」を継続したい…フィリピンで若き社会起業家が生み出した“事業”がスゴい!大学を休学し、JICAの短期雇用支援員としてネグロス島で活動した峠さん(右から3人目)

卒業後はマニラで働こう!
旅行代理店で内定をゲットしたが…

 8カ月の滞在を経て帰国し、大学に復学してからも、ネグロス島の人々に対する思いは強まるばかりだった。

「自分の力不足もあり、たいしたことはやれませんでしたけど、それでも月額300ペソくらいの収入は作れましたから、彼らにしてみればわずかながら希望の光ではあったと思うんです。だからこそ、『Chada』の活動も一時的なものではなく、継続しなければならないと感じました」

 そこで峠さんは卒業後の進路として、マニラでの就職を模索する。社会人としての軸足をフィリピン国内に起き、週末企業のような形で支援を続けていこうと考えたのだ。

 ところが、時は2020年。首尾よくマニラの旅行代理店に就職を決めたはずが、世界を未曾有のパンデミックが襲う。混乱のうちに峠さんの内定が有耶無耶になってしまったのも、当時の世相を思えば致し方のないことだろう。