ベーシックインカムの心

 たとえば、年金・生活保護・雇用保険の主要部分をベーシックインカムに集約した政府を考えると、この仕事に関わる官僚はごく僅かな人数しか必要ないことが想像できよう。

 たとえば、ベーシックインカムで100兆円配るがそれに関わる公務員が1000人である政府と、社会保障支出は70兆円だが、それに関わる公務員が1万人いる政府とでは、実質的にどちらが「大きな政府」だろうか。

 大きな政府が問題なのは、政府による支出が、人的資源の配分も含めて、非効率的な資源配分を生みやすいからだ。富の再分配自体は社会的に合意ができる限り問題にするには及ばない。

 そう考えると、官僚や政治家が関わる「裁量的支出」の大きさと非効率こそが「大きな政府」の真の問題で、ベーシックインカムのような給付にもお金の使途にも裁量が及ばない支出は、仮に規模が大きいとしても、資源配分の非効率にはつながりにくい。

 政府の大きさを考える場合、富の再配分の大きさに注目するか、社会的資源配分に対する政府の裁量の大きさに注目するかで、結果は大いに異なる。

 たとえば、組み合わせとしては、ベーシックインカムを大きな額にして再配分を大きくしても、官僚による裁量は小さい制度を構築することが可能だ。これは、資源配分への介入規模の意味では「小さな政府」による制度であり、キャッチフレーズ的にいうと「大きな福祉、小さな政府」あるいは「小さな政府で、優しい社会」の実現が可能であることを意味する(小泉進次郎氏なら、もっと魅力的なフレーズを生むだろう)。

 他方、ベーシックインカム、あるいはベーシックインカム的な制度は、官僚が関与する余地が小さく、官僚にとってのメリットが少なく、しかも官僚が使える他の予算を圧迫するので、立法から実施要領を決めるプロセスのどこかに官僚を関与させると実現しない。たとえば、民主党の「子ども手当」はベーシックインカム的な非裁量的再分配政策だったが、官僚に骨抜きにされて、児童手当に戻されてしまった。