なぜ国鉄は民営化されたのか?
水面下で続いた攻防
国鉄民営化は古くから経済界の一部で主張されていたが、本格的な議論は1981年に発足した第二次臨時行政調査会で始まった。「増税なき財政再建」を掲げた臨調は、行財政改革を通じた歳出の徹底的削減を目指した。その目玉のひとつが、日本国有鉄道、日本電信電話公社、日本専売公社、いわゆる「三公社」の民営化だった。
1982年の臨調答申を受け、1983年5月に国鉄再建臨時措置法が成立。「国鉄再建監理委員会」を設置し、1987年7月末までに「適切かつ健全な事業運営を実現するための体制整備を図るための施策」を講じるとした。
臨調は民営化を求めたが、この時点では政府・国鉄内に反対論が根強く、実現の見通しは立っていなかった。また、民営化はやむなしとしつつ分割には反対との立場もあり、各陣営の水面下の駆け引きが続いた。この辺りは「国鉄改革3人組」と称された松田昌士氏(後にJR東日本社長、2020年逝去)や、葛西敬之氏(後にJR東海社長、2022年逝去)の著作に詳しい。
国鉄存続に向けた最後の計画は、これまで同様、成果を上げることはできなかった。1985年7月、監理委員会は「国鉄改革に関する意見—鉄道の未来を拓くために」という改革案を提出し、1987年4月の分割民営化は正式な政府方針となった。
つまり、1964年度から1979年度までの15年間で破綻した財政を、1980年度から1985年度までの5年間で立て直そうとするが失敗し、最終的に1年9カ月で分割民営化を実施することになった。水面下で議論や検討はなされていたとはいえ、民営化の準備はここから本格的に始まったのである。そして、それはダイヤも同様であった。







