ダイヤの中身より先に日程が決定
異例ずくめの改正計画
当時、国鉄運転局列車課長として1986年11月ダイヤ改正を指揮した進士友貞氏(後にJR東海専務取締役)が記した『国鉄最後のダイヤ改正JRスタートへのドキュメント』(2007年 交通新聞社)という、そのものズバリのタイトルの本がある。残念ながら絶版となっているが、当事者による貴重な記録かつ読み物としても面白いので興味のある方は是非、読んでほしい。
同書によると、ダイヤ改正の検討は監理委員会の答申に先駆けて1985年5月に始まったという。国鉄の全国規模のダイヤ改正は通常、2年間の調整・準備期間を必要とした。国鉄改革の本丸は長期債務の処理、余剰人員対策であったが、同時に民営化効果を世の中に実感してもらうための「新商品」としてのダイヤを示す必要があった。
冒頭に記した通り、新会社発足と同時のダイヤ改正は困難なので、国鉄のうちに実施する必要があった。準備期間を少しでも確保するため1987年3月に実施する案もあったが、直前では事情は同様だ。結局、よりスケジュールの厳しい1986年11月案に固まった。ダイヤ改正の内容より先に実施日が決定されたのである。
時間が限られる中、どこまで踏み込んだダイヤ改正を行うのか。方向性を決めたのが、山之内秀一郎国鉄常務理事(後にJR東日本会長、2008年逝去)が求めた「東海道新幹線のスピードアップ」だった。また、1982年以降、地方都市圏で試行された増発を中心とする輸送改善を本格的に取り入れた「地域密着ダイヤ」とするなど、サービスアップを強く打ち出す方針が決まった。
ダイヤ改正の概要は1985年9月の国鉄常務会で決定した。そして、わずか1年2カ月で、この複雑なパズルを解かなければならなかった。進士氏は改正の条件を次のように整理している。
1 新事業体にふさわしい効率的で魅力あるもの
2 新事業体以降の枠組みの中に要員、設備、車両が収まるもの
3 地方の状況の把握と要望の吸い上げ。国鉄改革法案審議とダイヤ改正作業が並行して行われることを考慮すること
4 この改正の表面上の目玉となっている、新幹線のスピードアップと時間短縮を確実に行う
5 ダイヤ改正作業自体の効率化と準備期間の短縮を図る







