東京~新大阪間を18分短縮
列車8万キロ増発の舞台裏
ダイヤ改正の素案は同年11月に決定し、1986年1月に要旨が報道発表された。2月から実務担当者の調整が始まり、4月に「国鉄最後のダイヤ改正」が中間発表された。異例の発表だったが、民営化がサービス低下を招くのではないかという懸念を払拭する狙いがあったという。
ダイヤ改正とは運転時刻の変更だけではない。使用する車両、必要な乗務員など、ダイヤを回す裏付けがなければならない。そして、これらは分割して新会社に引き継がれる。また、旅客会社から分離され、第三種事業者(他社の施設を借りて運行する事業者)となる貨物会社の競争力を確保し、かつ採算の合う規模とする必要もある。詳細に興味がある方は前掲書をご覧いただきたい。
こうして実施されたダイヤ改正はJR各社の船出にふさわしい内容となった。進士氏は「新幹線のスピードアップは大成功だった」と振り返る。東京~新大阪間は1965年以来、3時間10分運転のままだったが、最高速度を時速210キロから時速220キロにアップするとともに、余裕を持たせ過ぎていた運転速度を見直すことで、最速2時間52分に短縮した。
在来線の「地域密着ダイヤ」は利用者の増加につながった。特筆すべきは、この改正は車両や乗務員の総数をほとんど増加させずに実施したことだ。改正前の全国の旅客列車キロは約140万キロだったが、改正で8万キロに及ぶ大増発が行われた。つまり、5~6%の生産性向上が図られたのだ。
民営化の功罪はあるにせよ、経営の効率化とサービス向上が進んだことに異論はないだろう。しかしそれは、JRの発足後に初めて検討されたものではなく、国鉄から連続していたことを見逃してはならない。
同時にローカル線の廃止もJRになって進んだのではなく、国鉄自身が1960年代から望んでいたことであり、国鉄末期になってようやく実現したものだ。サービス向上の必要性とローカル線の整理は、どちらもモータリゼーションによる鉄道の独占崩壊に起因するのだが、本題から逸れるため論点の指摘にとどめたい。
民営化から間もなく40年となり、地方を中心に鉄道の持続可能性が問われている。減便や廃線が進むたびに、国鉄とJRのどちらが優れているのか議論になるが、少なくとも運輸の面では国鉄とJRは連続しており、共通の問題意識のもとグラデーションのように変化していった。国鉄最後のダイヤ改正は、連続性を象徴しているのである。







