言うまでもなく、「家族」とは、社会における最小の集団であり、最も濃密な関係を得られる他者である。他のどんな人間関係をもってしても、家族を越える親密さは得づらい。ゆえに、家族による承認を考えることは、「承認」を考える最初の一歩となるだろう。

 現代社会では、家族というフォーマットが、社会全般に機能しなくなっていることが問題として挙げられる。例えば、生涯未婚率(50歳時点で未婚の人の割合)の増加である。2013年の「少子化社会対策白書」のなかで、男性の生涯未婚率は20.14%、女性のそれは10.61%と発表されている。つまり男性の5人に1人、女性の10人に1人が、50歳まで未婚で過ごしているというのだ。そして、この数字は年々上がっている。これは、あなたの周囲の結婚事情を考えても、実感が持てる数字ではないか。

 この状況は、承認というキーワードに照らすと、二重の問題をはらんでいることがわかる。1つ目は、単純に家族からの親和的承認が得られないという問題だ。そして、2つ目は、独身であることによって、周囲や社会一般から、「あの人は結婚できない可哀想な人だ」と風評を立てられることである。つまり、世間からの一般的承認も得られない。

 こうして文章に起こしてみて、自分でもこんなことをあえて書くのはばからしいと思う。そして時代錯誤だとも思う。他人からの風評なんて放っておけば良い。価値観が多様化し、女性の社会進出が職種によってはある程度進んだ世の中では、男女ともに必ずしも結婚しない幸せがあってしかるべきだ。それにもかかわらず、「親に言われるので」「周囲が結婚しているので」焦っている人が多いというのも、また事実だろう。これを“世間体”と位置づけずになんというのだ。

 生涯独身を貫く場合は、煩わしい家庭内でのやりとりがない代わりに、伴侶からの「承認」が欠如し、なおかつ世間一般からもなんとなく「負け組」というレッテルを貼られて生きることになる。本人が望む・望まざるに限らず、だ。したがって、本人の内側と外側で二重の承認不足を抱えることになる。

 こう述べると、「そんなこと、今に始まったことではないではないか。いや、世間体の圧力は昔より弱まっているではないか」という反論がかえってきそうだ。では、それに対する反論をこれからしていこう。

 僕の結論としては、確かに世間体の壁は打ち壊されつつあり、かつてほどの息苦しさはなくなっているが、その代わりに、社会で“別の問題”が生じてきているということだ。この世の中は、ある問題が解決されると、その一方で“別の問題”が生み出されるようにできている。なぜなら、完璧な社会はいまだ地球上のどの場所にも存在しないからだ。