優秀なのになぜか落とされる。残念な自己PR

 ヤル気のある大学生ほど先に述べたBeingやHavingをPRのネタとして就職活動をする。
「私はこんな人です」「私はこうなりたい」。
 しかし、これは残念ながら失敗に終わることが多い。

 例えば、選考で落とされて一番「もったいない!」と思うタイプを紹介しよう。
 実によくいがちだ。
 本人は優秀で素晴らしい。でも、選考で落とされてしまう。

 次のような自己PRの内容が多い。

「成長意欲がウリです。
 大学時代も多くの人と出会い自分を成長させることを大切にしてきました。
 社会人になってからも、持ち前の成長意欲を武器に御社でも活躍したいと思います!」

 大学時代にいろんな挑戦をしてきたことは想像できるし、それによって自分を成長させることができたのもわかる。その頑張りに好感も持てる。
 しかし、社会人にとってヤル気や成長意欲はあって当たり前。
 それだけではPRにならないのだ。

「頑張ってる自分」だけでは
アピールにならない

 就職活動を境に、「社会が学生を評価するルール」が変わる。
 学生までは、「成長意欲や向上心」が評価されることが多い。
 つまり、「頑張ってる自分」が、周りから褒められ、評価される。

 なぜなら「授業料を払って」大学に通っているから。
 学校や社会は、学生のみなさんが勉学に励み、学内外の活動を通して、きみ自身が成長することを期待している。だから向上心や成長意欲を持っている人を高く評価する。Being、Havingを全面に出していると評価される。

 一方で、就職はどうだろう。
 今度は、「給料を受け取る」側、逆の立場になる。
 もし大企業に40年勤めるとなると生涯賃金は3~4億円、それだけの額に見合う人物だと思うから採用するのであって、企業からすると「成長意欲や向上心はあって当たり前」「じゃあその意欲や向上心を、わが社でどう活かしてくれるのかな?」となるのだ。

 だからこそ、Giving=社会にどんな影響を与えたいのか、
社会にどんな価値提供をしていきたいのかに企業は興味がある。
 その価値観を元に働き、給料に見合った仕事をするかどうかを知りたいのだ。

 きみは「誰のために」「何のために」仕事をするのだろうか。
 誰のためなら頑張れるか。何のためなら頑張れるのか。
 それを通して社会にどんな影響を与えたいのか。

 それを言葉にできている人から内定しているのだ。