降ってわいた2度の都知事選
「品質管理」なき選挙の弊害

 告示直前の段階になってもまだまとまった公約が出てこなかった候補者もいたが、それ以外の候補者たちの公約を見ても、率直に言って都政への理解は不十分だし、言葉だけが踊っていた。具体性に乏しく、泥縄式の印象は拭えなかった。しかし、だからといって、筆者は候補者たちの準備不足を非難する気にはなれなかった。降ってわいたような選挙に際し、短時日のうちに都政の全貌を理解し、それに対し的確な政策を提示せよという方がどだい無理な話だと思うからである。

 年末に知事が辞任し、正月休みをはさんで1月末にはもう告示である。立候補するにはそれまでの仕事や社会的役割を整理し、体制を整え、資金のめどをつけ、事務所を構えて要員も揃えなければならない。こんな慌ただしさの中では、正直なところ都政のことを考える暇などない。候補者の心境を察すれば、おおよそこんなところだろう。

 ただ、候補者たちの準備不足を責めることはできないからといって、都政にとってこんな選挙でいいはずがない。これでは候補者の人となりや政策の「品質管理」ができないからである。そういえば前回の選挙も、石原知事が任期途中に突如辞任し、ドタバタの中から猪瀬氏が急浮上し、大量得票で圧勝した。しかし、「品質管理」は何もなされなかった。はたしてその1年後、猪瀬氏の資金問題とともに氏の説明責任能力の欠如が露呈した。もし選挙戦を通じて「品質管理」の機会があれば、少なくとも説明責任能力の点で猪瀬氏に対する有権者の評価は変わっていたはずだ。

 残念ながらこのたびの選挙でも「品質管理」はなきに等しかった。それが後年どういう結果をもたらすか。今のところわからないが、前任者が都政にもたらした大混乱の二の舞は願い下げで、4年の任期を全うする知事であってほしい。

まるで投機のような候補者選び
政党は「品質管理」の責任を果たすべき

 それはそれとして、今後の問題として都合2回の「時ならぬ選挙」から得られる教訓は大切にしたい。その1つは、任期途中で職責を放り出すような人を選んではいけないということである。猪瀬問題に起因する都政の大混乱も石原氏の身勝手な辞任に端を発している。自ら望んで引き受けておきながら、その職を平気で投げ出すような人はそもそも立候補すべきでない。