多くの生命系の論文は
再現性が低い

 研究は登山に似ている。道を間違えたら引き返す勇気が大切で、それができなければ「遭難」する。山には紛らわしい道が多い。いかにも山頂への近道のように見えても、途中で崖になったりして行き止まりの道もある。そういうことは経験のある研究者なら、よく知っていることである。しかし、小保方氏はそうではなかったのだろう。山頂が見えた途端、そこまでの道を妄想し、山頂で万歳する姿を合成写真で作ってしまった。

 捏造事件を見て、いつも感じることがある。手法が一般的に稚拙なのだ。

 もし本気で初めからストーリーを偽造するつもりなら、もっと上手にできるはずである。今回の事件はわずか1週間でばれるというあまりに粗雑な捏造であった。小保方氏が貼り合わせた2枚の写真は、もう一度サンプルを電気泳動すれば、わずか30分で一つの写真に撮り直すことができる。もちろんこれも不正なのだが、こうすると第三者が見抜くのはなかなか難しい。

 なぜ30分の手間を惜しむのだろうか。博士論文の写真をネイチャーに使い回したのもそうだ。同じ時に撮った別の写真を使っていたなら、今でも捏造はばれていなかっただろう。シェーンも同じ図を使い回していた。ちょっと手間暇かければ、ばれていなかったのに……捏造するならもっとうまくやれよ、と言いたい(いや、そもそもそんなことはしてはいけない!)。

 もしかすると、稚拙な捏造だけがばれて、巧妙な捏造は未だにばれていないのかもしれない、と背筋が寒くなることもある。しかし、捏造がばれてはいないとはいえ、所詮嘘であるから他人が再現ができない。

 実は、多くの生命系の論文は再現性が低いことが指摘されており、その可能性の一つとして捏造であることも捨てきれないのが現状だ。

 もしくは、次のように考えることもできる。つまり巧妙な捏造家などはおらず、基本的に全ての捏造家は楽して儲けようという輩であるから、そのさもしい根性が結果的に命取りになるというものだ。小保方氏のように30分の手間を惜しむ余り、捏造がばれるきっかけとなる綻びを生んでしまったのだろう。

※本原稿は文藝春秋2014年6月号『小保方捏造を生んだ科学界の病理』を一部抜粋、加筆修正を加えたものです。