亭主は蕎麦打ち、女将は料理。二人で分け合って、二人以上の美味しさを創る。

 学んで、探求して生み出す季節の清々しい蕎麦料理が「銀杏」にはありました。銀杏の大木のオーラが店を守護しているようです。

(1)店のオーラ
銀色に輝く大銀杏にかける夢

西大島「銀杏」――亭主は蕎麦、女将は料理の夫婦善哉
新蕎麦の声を聞く頃から大銀杏が銀色に輝いて店を覆う。客がしばし見とれる光景です。

 大木の葉が店を覆っています。新蕎麦の時期から、大銀杏(いちょう)が銀色に輝きだします。それは、店を覆いつくし、守護しているようにも見えます。

 「銀杏(ぎんなん)」が手打ち蕎麦屋を興して6年、客はその大銀杏を目指して店を訪問します。

 西大島の駅から近いのですが、店は路地裏に隠れるようにして静かに息をしています。この立地が、手打ち蕎麦屋に改装するときの、店主とその父親の意見が長年合わなかった要因でした。

 「こんな場所を手打ち蕎麦屋にしてもしかたがない」父親から何回もそういわれていたといいます。

 「親父とはそのことでいつも言い争いでした」

西大島「銀杏」――亭主は蕎麦、女将は料理の夫婦善哉
年々深化を遂げる生粉打ち田舎蕎麦。黒い肌に甘皮の星が飛び、香りが豊かに立つ。

 亭主の田中栄作さんが、若い頃の自分の短慮を少し恥じながら振り返ってくれます。

 田中さんはいわゆる町場の蕎麦屋の2代目でした。大学を卒業してすぐに初代の父親の後を継ぐべく店に入りました。

 その頃は常連客も付いていて、出前も多くあり、近所から贔屓(ひいき)にされていました。

 田中さんの心に変化が起きたのは、当時、西神田にあった「一茶庵」の5色蕎麦に出会ったときでした。

 自分の家の蕎麦に比較して、その蕎麦は眩いばかりの光芒を放っていました。せいろ、田舎、更級、茶蕎麦、柚子きり……、繊細な切り口、ほどの良い腰が口中で粘り、喉をするすると駆け抜けました。自分の店の蕎麦に比べて、その違いに衝撃が走りました。

 当時、「蕎麦聖」といわれた、一茶庵創設者の片倉氏が元気な頃で、手打ち蕎麦屋が飲食業の世界に名乗りを上げてきた頃です。

 このあたりから、手打ち蕎麦屋の隆盛の前兆があって、才能のある職人が各地に輩出し、特色のある蕎麦屋が生まれてきました