麻生太郎内閣は今日(1月30日)、今後4年間の国家公務員制度改革の海図となる「工程表」を閣議で決定し、これにお墨付きを与える方針だ。
このコラムを執筆している段階(29日)ではまだ確定していないものの、その内容が「改革に反対する官僚たちの圧勝」に終わる可能性が非常に高まっている。
原因は、麻生首相のやる気のなさと、所管大臣たち政治家の不見識である。その結果、現実とかけ離れた、官僚たちに都合のよいウソが罷り通り、改革は、あるべき姿と正反対の官僚たちのやりたい放題になりつつある。
今回のコラムでは、総務官僚がまんまと焼け太りに成功する見通しの「内閣人事局」の問題と、相変わらずの屁理屈で同局への機能移管に激しい抵抗を続ける人事院の問題に焦点をあてて、政治家と官僚のケーススタディをしてみたい。
麻生首相の施政方針演説は
天下り容認のメッセージか
「天下りなど、公務員の特権と批判される慣行についても厳しく対応し、押し付け的あっせんを根絶します」――。
麻生総理が国会で28日に行った施政方針演説のこのくだりに、多くの官僚たちは心の中で拍手喝さいした。
ところが、新聞やテレビでは、この部分を問題にした報道がほとんどみられなかった。
同じ演説の「『官から民へ』といったスローガンや、『大きな政府か小さな政府か』といった発想だけでは、あるべき姿は見えない」という箇所を限定的に取り上げて、「小泉構造改革との決別か」とこじつけて騒ぐ報道ばかりが目立ったのだ。
しかし、はっきり言って、こうした報道はお粗末だ。というのは、首相は、このくだりで、サブプライムローン問題や世界不況の反省から、国際的な風潮となっている「公平で透明なルール」の整備の必要性を説明しただけだ。そこに焦点をあてること自体に、エコノミストやアナリストの間では、冷笑が広がっているという。
むしろ、多くの事情通の間で問題になっているのは、冒頭で記した「天下りなど――」の方なのである。
なぜならば、天下りについて、官僚は昔から、あらかじめ周到に根回しをして企業側から依頼があったかのように形を整えている。ところが、そういう事実を隠したうえで、「押し付け的あっせんは、いけない。もちろん、そのような形の天下りはやってない」と強弁してきた実態があるからだ。