イラスト=羽賀翔一

多くの場合は、相手を屈服させることが目的です。屈服させて、自分が正しいということを認めさせたい。理不尽な怒りの場合は、ほぼこれでしょう。

 だとしたら、表面上は屈服し、しかし裏できっちり仕事を遂行するのも、現実的な手だと言えます。

相手の怒りに注目してしまうと、こちらも怒りの気持ちが湧いてきがちですが、それも、「(相手ではなく)自分の方が正しい」と主張したいがための「道具(手段)」なのです。

とにかく、相手の感情に過度に注目することをやめ、言っていることだけに注目してみましょう。

理想論としては、上司であれ部下であれ、間違ったことを言っている人がいれば、正すべきです。

 上司が感情的になることで仕事の遂行に明らかに支障をきたしているのであれば、そのことを上司に指摘し、改善を求めていかなければなりません。

 反論したらどう思われるかまで気にしていれば、反論する時機を逸してしまうことになるでしょう。「それは違う」と言えなければ、結局困るのは自分であり、働いている職場のみんななのです。

これには、まさに「勇気」が試されます。

今回のアドラー流ポイント: 怒りとは出し入れ可能な「道具」である

アドラー心理学では、ひとが大きな怒鳴り声をあげている場面で、原因論的に「怒りに駆られて、大声を出した」とは考えません。その逆で、「大声を出すために、怒った」と考える。つまり、怒りの感情は何かしらの目的(この場合「相手を屈服させる」)を達成するための「手段(道具)」として生み出されるものであると考えるのが、アドラー心理学の特徴です。これは決して、ひとの感情自体を否定しているわけではありません。ひとにはもちろん喜怒哀楽がある。しかし激情など、大きな感情の力に瞬時に支配されてしまうかといえば、決してそうではない。ひとは感情に抗えないような弱い存在ではなく、感情の力に頼らなくても当初の目的(「相手に納得してもらう」など)を達成できることを学ぶことが、求められているのです。