あるいは外国の方が見れば別の感想を持つかもしれない。残酷だ、異常だ、とショックを受ける人もいるだろう。例えば外国人からよく非難されるものに『マグロの解体ショー』がある。解体されていくマグロを『美味しそう』と目をかがやかせる人々の姿は彼らには異常に映るようだ。反対に豚や鶏を絞める姿を日本人は隠し、眉を潜めるが、それに抵抗のない国の人もいる。文化の違いとしか言いようがない。

外房捕鯨株式会社は『くじら家』という名前で鯨肉加工品も販売している

 日本固有の文化を扱っているこの連載で、鯨食はいつか触れようと思っていた。鯨食はデリケートな問題だ。もちろん人にもよるのだろうが、一般的には外国人に理解してもらうのはおそらく難しい。

 あるいは文化というのは本質的には国境を越えないのかもしれない、とも思う。小説家の開高健が文化と文明の違いについてこんな風に語っていた。「文明は他の国に簡単に輸出できるもの」であり、文化は「その文化圏に固有の血と土の産物であって、他の文化圏に伝えることが不可能であるか、もしくは極めて困難であるもの」なのだ、と。

 クジラは食べるべきなのか? 個人的な感想としては遠い南氷洋まで出かけていってクジラを捕ることには無理がでてきていると思う。しかし、こうした伝統的な沿岸捕鯨は別だ。誰かに文句を言われても我々は持続可能性のある資源を、持続可能な漁法で獲っている、と答えるほかない。

ローカルな食文化「クジラ」を
町の人々は誇り、愛している

解体が終わると地元の人が買いに来る。冷凍ではない生肉だ。クジラは馬肉と似ていて水分含有量の多い肉なので本質的には冷凍に向かない肉だと思う。もっとも冷凍しないと流通できない事情があったのだろうけど

 クジラの解体が終わると、その日のうちに肉の販売がはじまる。近所の人たちは慣れたもので、バケツなどをもって集まってくる。販売スペースも人で一杯だ。冷凍などではない生肉が、2キロ、いや5キロと固まりで次々と肉が売れていく。ここらあたりの人たちはタレという干し肉に加工してから、冷凍しておくのだと聞いた。ツチクジラの肉はほとんど近隣で消費されている。

 クジラは高くて庶民の手の届かない食べものになったというけれど、その日の販売価格は正肉でキロ2500円、ハギ肉(切り落とし)でキロ1700円だった。グラムにすると250円(100グラム)なので肉としてはちょっとないほど安価だ。ちなみにこのあたりで消費されるのはもっぱら肉で、皮はあまり食べないという。

意外なことにこのあたりではクジラの皮は食べないそうだ。皮は塩漬けにして新潟や長崎などにも出荷されている。日本にはクジラの皮が入った鯨汁を煤払いのあとに食べる風習があった。煤払いという言葉も聞かなくなりましたねぇ……

 僕は以前、ダイヤモンド・オンラインに寄せた記事のなかで「日本人はクジラ肉をそれほど食べていない」(なぜ日本は「クジラ裁判」に完敗したのか ノスタルジー食文化を脱する『鯨食2.0』の必要性)と書いた。統計上はたしかにそうだ。でも、クジラ肉はもともと地域性の強い食文化。少なくてもここ和田浦では、どこに行っても様々な形でクジラ料理を味わうことができる。

 ただ、ひとつだけ気になったことがある。解体され切り分けられた肉は氷水に放り込まれていたのだが、そうすると肉は水を吸ってしまうし、旨味成分は流出してしまわないだろうか。血抜きという考え方かもしれないが、調理直前ならともかくこの段階で水に浸けることは疑問だった。