日本人は、口下手である。だが日本人はそれを肯定的に、いやむしろちょっと誇り気味にすらとらえてきた。確かに単一民族が島国で村を形成してきた日本では、以心伝心はおのずと育った伝達様式であり、「和を以って貴しとなす」というマインドに支配された社会では、それはとてもうまく機能してきた。しかし、もはやそうは言っていられない。社会情勢は変化し、ソーシャルテクノロジーは世界中の人々をつなげ始めた。今多くの日本企業が、「真のグローバル企業」を目指し悪戦苦闘している。日本という国そのものの世界におけるポジショニングも問われている。世界トップ3のPR会社で上級副社長を務めるブルーカレント・ジャパンの本田哲也社長は、口下手に甘んじていることが「日本のアキレス腱」なのだと言う。
コミュニケーションとは、
人を動かす「技術」である
かつて「ものづくり大国」であった日本。日本人のモノを生み出す技術、その技術へのこだわりは現在でも世界トップレベルだ。だが、目に見えるものを生み出す技術に長けている一方で、「目に見えないもの」に対しては「技術」という概念が不在になってしまう。
ブルーカレント・ジャパン代表取締役社長
フライシュマン・ヒラード
上級副社長兼シニアパートナー
1970年生まれ。セガの海外事業部を経て1999年、フライシュマン・ヒラード日本法人に入社。 2006年、グループ内起業でブルーカレント・ジャパンを設立し代表に就任。2009年に『戦略PR』(アスキー新書)を上梓し、広告業界にPRブームを巻き起こす。P&G、花王、ユニリーバ、アディダス、サントリー、トヨタ、資生堂など国内外の大手顧客への戦略PR実績多数。著書に『その1人が30万人を動かす!』(東洋経済新報社)、『ソーシャルインフルエンス』(アスキーメディアワークス)、『広告やメディアで人を動かそうとするのは、もうあきらめなさい。』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。GAISHIKEI LEADERSのサポーターも務める。
「コミュニケーション」はその代表格だ。日本人にとってコミュニケーションは「なんとなく、うまくいったりうまくいかなかったりするもの」という固定観念がある。あるいは冒頭で触れたように、「思えば伝わる」「わかってくれよ」といった「甘え」も多い。
海外、とりわけ欧米社会は違う。コミュニケーションは人を動かす「パワー」であり、そこにはそれ相応の「技術」が求められるというコンセンサスがある。
「コミュニケーションで人を動かす」というと、日本人はどうしても「上司が部下を動かすノウハウ」のように、極めて限定的な連想をしがちだ。もちろんここで言うコミュニケーションはそのように安易なことではない。ビジネスや政治を動かす、ダイナミックなコミュニケーションについてだ。そして、その具体的ノウハウの中心をなすのが、いわゆる「戦略PR」なのだ。
戦略PRとは「空気づくり」
戦略PRとは何か。拙著『戦略PR』の中では「空気づくり」であると定義している。日本の広告業界やマーケティング業界では、「PR」への誤解――広告の世界では単なるパブリシティ活動という狭義の理解や、「広報」という日本独自領域との認識――も根強く、PRは「何となくわかったようでわからないモヤモヤしたもの」「いずれにしても自分の仕事の本流には関係ないもの」だった。
しかしこの「空気をつくる」というPRの本質的かつ新たな説明は、多くのコミュニケーション従事者にとって「目から鱗が落ちる」ものだったようで、「戦略PRブーム」ともいえる状況となった。その経緯はここでは詳しく述べないが、非広告コミュニケーションの代表手法である戦略PRが脚光を浴びたのは、日本ではたった5年前であるということを再確認しておきたい。
1つの例を出そう。あるおむつメーカーは、新しい商品の発売を控えていた。従来品よりスリムで吸収力も向上させた自信作だ。これをどうやって、購買層のママたちに伝えるか。王道的な方法なら、テレビCMでブランドを訴求し、店頭プロモーションでこの新便益を伝えようとするだろう。しかしすでにブランドの認知率は100%近い。また店頭は価格競争の真っ只中だ。そこでメーカーは、「赤ちゃんの睡眠」の話題を喚起することで、「快適な睡眠環境を提供するおむつ」の購買に結びつける戦略、つまり「空気づくり」から着手することにした。
このメーカーが採用した具体的手法はこうだ。まず小児睡眠の専門家と協力して「赤ちゃんの睡眠」に関する国際調査を実施し、日本の赤ちゃんの睡眠環境における問題点(日本の赤ちゃんの50%近くが夜10時以降まで起きているなど)をさまざまなデータで実証した。この事実をマスコミはこぞって報道し、ソーシャルメディア上のクチコミが急増した。2カ月ほどで「赤ちゃんの睡眠が問題である」という空気が醸成されたのだ。
このタイミングでメーカーは、最小限の投資で広告と店頭施策を展開した。メッセージは、「あなたの赤ちゃんの睡眠を考えたブランドです」。結果、赤ちゃんの睡眠の空気づくりと、その解決策と位置づけた商品訴求が功をなし、売上は向上した。
PR先進国の米国には多くの成功例が存在するが、基本的な戦略はこのおむつメーカーの考え方に添っている。かのオバマの大統領選の背後にもそれは存在する。2008年に世界中の注目を集め大統領に就任したオバマの戦略ブレーンには「7人のサムライ」とも呼べる7~8名のプロフェッショナルがいて、うち1名は戦略PRプランナーであった。大統領選を「空気」と「商品」の関係であらためて眺めてみると、戦略の整合性に気づかれる。
オバマの空気づくりは、「この国には変化が必要である」という世論を米国内に広く喚起することであった。そうした“土壌”に登場するリーダー、オバマ(=商品)のメッセージとして、「Change」は見事にはまる。そして、オバマという商品の特性は、言うまでもなく「変化を起こせる人」だ。「黒人で経験不足」という、ともすれば負になり得る要素を逆転させ、マケインやクリントンという「競合商品」との差別化を、見事に成功させている。こうした戦略性こそが、PRが本来発揮すべきダイナミズムなのだ。
やっと理解され始めた戦略PR
この5年ほどで、戦略PRの概念は急速に日本で普及した。まさに「空気づくりをしなきゃ」という空気ができた。ではなぜ、これほどまでに戦略PRは人々の関心を引き、一気に広まることになったのだろうか。