『ポスト資本主義社会』
ダイヤモンド社刊 2100円(税込)

「19世紀にはもちろん、1929年に至ってさえ、政府による経済運営を可能とし、それを支持する者はいなかった。政府による景気のコントロールを可能と論ずる者はなおさらいなかった」(『ポスト資本主義社会』)

 国家とその政府の仕事は、通貨を安定させ、税を低く抑え、節約と貯蓄を奨励することによって、経済発展のための「気候」を維持することであるとされていた。

 経済の「天候」、つまり景気変動は、それを引き起こすものが国民国家の内部の出来事だけでなく、世界市場の出来事でもあるという理由から、国内において何者かがコントロールできるものではないとされていた。しかし、あの大恐慌のとき、国民国家の政府は経済の「天候」をコントロールできるし、コントロールすべきである、との考えが急速に広まった。

 ジョン・メイナード・ケインズは、少なくとも中規模以上の国家の場合、政府が、世界経済とは関係なく、国民経済を動かし経済の「天候」を動かせると主張した。政治家と官僚機構がこの説に飛びついた。支出を増やし、刺激をすれば景気はよくなるとした。

 これに対し、ドラッカーは、たとえ中規模以上の国家といえども、政府が経済の天候を短期的にコントロールすることは不可能であると断じた。なにびとも複雑系としての景気をコントロールすることはできないとした。

 「経済学は、政府を国民経済の主(あるじ)として扱い、経済の天候の管理者に仕立て上げた」(『ポスト資本主義社会』)