編集者 岸見先生、このあたりのセロリさんの考えについてはどうですか?
岸見 料理人にアピールしないといけませんね。こんな料理の仕方があるんだよ、ということをまだ知らないかもしれない。新しい料理を開拓することが料理人にとっての喜びなのだから。そのチャンスを与えるのだと思って、どんどんアピールしなくては。
セロリ 俺も料理になって嬉しいし、料理人にとっても喜びにもなる……ってことか。
岸見 ゴーヤに負けないあなたの良さがきっとあると思うので。たとえば「こんな風にしてほしい」ということを言わないと。
セロリ 自らの提案が大事ということなんだね。でも直接言うの、なんかヤダな〜。
岸見 今のあなたは、ただ不満に思っているだけでしょう。料理人はあなたがそう思っていることすら知らないかもしれない。知らないのだったら、その人を責めたって意味はない。どう感じているかを言うのが先決ですよ。
編集者 その類いの話で言うと、たとえば会社の上司に強い不満を持っていて、友だちや恋人、同僚とかに愚痴る人っているじゃないですか。「ああしてほしい、こうしてほしい」って。でも不満の矛先である本人にはなかなか言わないですよね。それと同じ構図なのかなと思うのですが。
岸見 友だちに愚痴を言うのだったら、それはやめて積極的に「話すべき人」に言ってほしいですね。
セロリ 言い過ぎたら今以上に嫌われるかもしれないのがちょっと怖いな……。
編集者 セロリさんはこのようにおっしゃっていますが、普通の人はどうなのでしょう? 言いたいのに言えないっていうのは、今よりももっと悪い状況になる可能性があるからですかね。
岸見 悪くなるというのは思い込みで、逆のことだってありうるわけでしょう? どうなるかわからないけれど、言ったほうが上手くいくかもしれない。一か八か賭けてみてもいい。僕の予想では、たぶん料理人は誰もが認める野菜を料理することには生きがいを感じないと思う。こんな食材でこんな料理が作れたのか、ということをみんなに認めてもらうのが料理人にとっての喜びでしょう。
セロリ 「俺を美味しく料理してみろよ」くらいの強気でいけってことか。それで良い反応をもらえるなんて思ったこともないけど、たしかにそういう可能性もあるな。
岸見 良くない可能性が実現してしまうことを避けているわけです。そういう現実に直面するのが嫌なので、あれやこれやと自分の欠点を友だちに言い、自分でもそうだと思い込んでいた。そうではなく、一度違うやり方をしてみる必要がある。それだけの価値はあります。何かをして後悔するのか、何もしないで後悔するのか、どちらかを選べと言われたらどっちを選びますか?
セロリ 何かして後悔したいかな。
岸見 そうですよね。何もしないでジリジリ悩んでいるのはあんまりかっこよくないですよ。
セロリ そうだな。仮に良くない反応がきたとしても、それはそれでいいかなって思うし。すでに俺を好きでいてくれる人はいるんだしね。必要以上に窮屈な生き方してたよ。ありがとうな、岸見先生!
岸見 どういたしまして。