Photo by Mitsufumi Ikeda
次世代車(エコカー)の歴史に新たな1ページが刻まれた。11月18日、ついにトヨタ自動車が世界初の燃料電池車(FCV)、「MIRAI(ミライ)」の市販日を公表したのだ。年内の12月15日に販売を開始する。水素と酸素の化学反応によって作り出す電気で、モーターを回して走る「ミライ」。当初から開発に携わってきたトヨタのエンジニアに、今の率直な気持ちから、開発秘話までを語ってもらった。(聞き手/「週刊ダイヤモンド」編集部 池田光史)
――ついに世界初となる市販の燃料電池車(FCV)「ミライ」を発表しました。
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1992年から22年間、ずっとFCVに携わっているんですよ。これほど長く関わってきて、 “感動した瞬間”というのが過去に2度ありました。1度目は、2001年に初めてFCVでナンバープレートを国からいただいたとき。研究レベルの自動車としてではありますが、「公道で走っていいよ」という国土交通大臣の“お墨付き”をもらった瞬間でした。
そして今回が、2度目。今回は、「型式認定」されて市販されます。やっとここまでたどり着いたなという気持ちです。
――これまでの開発過程で、苦しい局面はありましたか?
もちろん、ずっと同じ分野の開発に携われてきたことは幸せなことだし、会社にも感謝しています。ただ、5~6年前に電気自動車(EV)ブームが来たときには、人的リソースを減らされたこともありました。その時は何が何でも人員を確保するために、社内で奔走しましたね(苦笑)。例えばEVの制御システムのために、(FCVの)人材をEVの部署に割くのではなく、「うちの部署で(EVの制御システム開発の)仕事は全てやりますから」などと主張して、部内に何とか人材を留めたこともありました。
――EVの部署とは、交流は盛んなのですか?
もともと92年にEV開発部が発足して、FCVはその中の一つの「グループ」に過ぎなかったんです。メンバーは、わずか3~4人からスタートしました。米カリフォルニア州の無公害車(ZEV)規制対策のために、技術部内に分散していたEV開発組織を集結させたときのことです。その後2000年頃にFCVにも本腰を入れようとなって、初めて「部」ができて独立しました。
今でもEVの人たちとは頻繁に意見交換しています。どちらもモーターで動きますから、作る段階で図面について、あるいは仕様が決まると「デザインレビュー」と称して話したり。オフィスのロケーションも近いんです。本社のEPT(エレクトリックパワートレイン)棟の5階にFC技術部、6階にハイブリッド系(EVを含む)の部署が入っていますから。もっとも、ハイブリッド車は一足先に商品化していることもあって、常に忙しそうだし仕事をお願いするのも大変だな、と遠慮してしまうことはありますが(苦笑)。
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――立ち上がりの1年間でミライの販売台数は400台ということですが、今回、車体はFCV専用車です。一方、15年度中に同じくFCVの発売を予定しているホンダは、最初から車体はガソリン車と同じ量産車で出す予定です。今後は、トヨタも量産車の仕様にしていくのですか?
迷っています。ガソリン車のエンジンルームに燃料電池を乗せられたら、車体が量産車と互換性を持つので、量産効果を見込める。価格を安くできるという点で言えば、そのほうがいいですよね。ただ、FCVはそもそも、鉄の塊、すなわちエンジンを乗せなくていいパワートレイン(動力伝達系)というのがウリです。今後、燃料電池のサイズを小さくして、もっと小さいスペースに置けるようになっていけば、エンジンルーム自体が必要なくなるんです。そうなるとエンジンルームに縛られてきた車のデザインも、フレキシブルに変えられることになります。本来は、そちらの方向性を考えていくものだと思っています。