母親に連れられて、一緒に不登校のカウンセリングを受けた。話の流れの中で、男性カウンセラーは、

「私も友だちに新宿2丁目のオカマバーに連れて行かれちゃったことあるけど、気持ち悪くてすぐ店出て、ゲーゲー吐いちゃうんだよね。あははは」と笑った。

 もちろん話を盛り上げるつもりだったのだろう。しかし母の前でもカミングアウトできないのに、不登校の専門家からそういうことを言われると、ますます自分の本音が言えなくなった。

 その頃、母親から、こういわれた。

「昔、お父さんが“この子はおかまになっちゃうんじゃないか” と心配してたのよ。そんなの、あるわけないのにね」

セクシュアル・マイノリティーを想定しない
日本社会での生きづらさが引きこもりの一因に

 当時、文部省の指導書の「性非行」に、「同性愛」と記載されていた。

 1994年になってようやく当時の厚生省は、WHOの見解を踏襲。文部省も指導書の「性非行」の項から「同性愛」を除外した。

 異性愛を前提にした社会に生きていると、同性愛者などのセクシュアル・マイノリティーは、差別や偏見の対象として見られがちだ。私たちは、そうした異性愛の価値観を家庭や学校の教育で植え付けられるうち、自分の性的指向をはじめとした性のありようをカミングアウトすることができなくなり、セクシュアル・マイノリティーの存在そのものも、なかったことにされる社会的作用が働いていく。

 このようにセクシュアル・マイノリティーの想定されていない社会の様々な場面で、自分の性のありようをカミングアウトできないでいる状態のことを「クローゼット」といい、いくつもの障壁が存在する。

 おがたけさんが「セクマイ(セクシュアル・マイノリティーの略)ひきこもり」を想定するのは、生きていくうえで「クローゼットに閉じ込められる状態」を強いられることによって、性別役割を求められる社会的場面回避の連続となり、引きこもり状態に陥るからだという。