今年も残りがわずかとなった12月16日、岩波現代文庫から拙著『この日本、愛すればこそ―新華僑40年の履歴書』が出版された。岩波書店のホームページに出ている同書の紹介は次のようになっている。

「日本人とつきあうことがタブーの文化大革命のさなかにあって、日本語の魅力に憑かれた1人の中国人青年がいた。初めて出会った言葉は『あ・か・は・た』。中国きっての日本通ジャーナリストとなった著者の目に、日本人や日本社会はどのように映ってきたのか。日本語と出会って40年、在日30年――同時代の証言としてすべての日本人に贈る自伝的日本論」

 12年前の2002年に出版された『これは私が愛した日本なのか』を改題し、改定増補したものだ。

20年前にも吹き荒れた中国脅威論の嵐

 1995年頃、「中国脅威論」や「中国封じ込め論」が突如、日本で嵐のように巻き起った。石原慎太郎氏のような人物は中国を封じ込めと豪語していた。日本の海軍力を行使すれば、2時間で中国を清王朝時代に叩き落としてやれると勇ましい発言を繰り返す人間もいる。本屋に行けば、『この厄介な国、中国』『中華思想の罠に嵌った日本』『「日中友好」のまぼろし』『つけあがるな中国、うろたえるな日本』『威圧の中国、日本の卑屈』『やがて中国の崩壊がはじまる』『どこまで中国に喰われ続けるのか』……憎しみと呪いしか感じられない書物が本棚に満ちていた。

 一辺倒になりがちな日本国内世論を見て、私はある恐怖感に襲われた。当時、中国の経済力はまだ日本の十分の一ぐらいしかなかった。こんな中国を敵視していくと、20年後、中国が強大な国になったら、日本はたいへん危険な状況に陥るのではないか、と危惧したからだ。

 もし日本の対中国政策の制定に、こうした無責任な意見が取り入れられてしまったら、中日関係の将来はかなり暗いものとなる、と私は心配した。中国も日本もこよなく愛している私の取り越し苦労であってほしい、と望むと同時に、自ら何か行動を起こさないと、と思うようになった。

 このことが今回出版された文庫版の前著である『これは私が愛した日本なのか』を執筆する動機となった。