北京オリンピックもあと数日を残すだけとなった。新疆ウイグルでの暴動、貴州での爆弾テロ、チベット民族の排除など、華やかな競技の裏側には暗い翳が見え隠れする。

 そのオリンピックを「平和の祭典」というらしい。確か、筆者の少年時代までは「アマチュアの祭典」と呼ばれていたように記憶している。プロ選手という理由だけ参加できなかった時代からしてみれば、水泳競技のLR(レーザーレーサー)騒動など隔世の感がある。

 80年代、サマランチIOC会長(当時)とテレビメディアの台頭によって、オリンピックは商業主義路線への転換を果たした。以来、莫大な放映権料がオリンピックを支え、競技の性質そのものを変えてしまっている。

 今回の北京オリンピックでも同様だ。NBCテレビが全放映権料の半額を支払ったため、米国内で人気のあるスポーツ競技の開始時刻は、同国東部時間のゴールデンタイムに揃えられた。

 米国がこのような荒業を発揮したおかげで、「決勝戦は夜」という伝統は崩れた。8つの金メダルを奪取したマイケル・フェルペス選手の出場した水泳競技のように、人気競技の決勝戦は軒並み午前中に行われることになった。

 いつもは欧米に後塵を拝している日本も負けていない。NHKと民放テレビの共同体である「JC」(ジャパンコンソーシアム)と電通の共同戦線もうまくいったようだ。宣伝効果の高い女子マラソンを、当初の競技日程であった金曜日の午前7時半スタートから、日曜日の午前8時半に変更させることに成功したからだ。

 しかし、ビジネス面では勝利を収めた日本だが、肝心の競技とそれを伝えるジャーナリズムにおいては、残念ながら商業主義の前に屈服してしまっている。

グルジア報道よりも
谷の銅メダルを優先

 8月8日以降、日本では、一般新聞と報道番組が消滅している。替わりに「スポーツ新聞」と「スポーツ専門チャンネル」がすべての「報道」を支配するようになった。

 開会式の開かれた8月8日、CNNやBBCなどの欧米の報道機関は、グルジアで勃発した紛争の行方に釘付けとなった。一晩で2000人もの市民が殺された戦闘は、米露の代理戦争の様相を呈していた。必然、北京に来ていたプーチン露首相とブッシュ米大統領の動向に注目が集まる。