サミュエル・ウォルトンは、偉大なフランク・ウルワースに習って小売業の帝国を育て上げた。子ども時代は、不況に苦しむ中西部で厳しい教育を受け、大学に進学、そして商業の世界に入る。
サミュエル・ウォルトンは、JCペニーの好意で小売業を体験したあと、義父から借りた2万5000ドルを元手にベン・フランクリンの店を始めた。この最初の店舗の賃借権を失うと、2番目、3番目と店舗を開設していく。それはたちまち小さな小売店舗群に発展。それらを確実に束ねて監督しようとして、自分で飛行機を操縦し店から店へと飛び回った。
ウォルトンがウォルマートの1号店を開設したのは1962年、2号店は64年、87年には1000店舗を突破している。1992年に亡くなるときには、その小売業から巨万の富を築き上げていた。富を築いたのは、多くの株主もまた同様だった。1970年にわずか1650ドルで購入した100株の価値は、1992年には260万ドルにもなっていた。
生い立ち
ウォルトンは1918年3月29日、オクラホマで生まれている。父は農家向け融資の評価人、不動産のセールスパーソン、あるいは保険のセールスパーソンなどさまざまな職業についていた。父が新しい仕事を見つけるたびに、ウォルトン一家はミズーリ州の中で、町から町に引っ越していた。1933年、やっと同州コロンビアに落ち着くと、いくつかの仕事をこなして家計を支えようとした。
どんなに一生懸命に仕事をしても、学校には必ず出席した。頭がよく、しかも懸命に勉強したおかげで、ミズーリ大学に入学できた。経営学の学位を取り、1940年に卒業している。
起業家の素質は大学時代にすでに表れていた。当時、アルバイトの新聞配達では広い地域を抱え、4000ドル(現在の貨幣価値では4万ドル以上にあたる)の収入を手にしていたことから、「ハスラー(やり手の)・ウォルトン」というあだ名をつけられていた。
大学を卒業したあと大学院への進学を断念し、アイオワ州デモインにあるJCペニーの小売店で管理の研修生として働くことにした。その後の仕事で大いに役立つことになる多くのマネジメント手法を身につけたのは、この時代のことだ。