経木。今ではプラスチックトレイに変わられたが、昔は経木で食品を包むのが当たり前だった

 昔は良かった、と言う人があまり好きではない。とくに食べ物(と教育)に関しては、こうした意見を述べる人が多いので困ってしまう。少なくても食に関しては「昔は良かった」とばかりも言い切れない。

 戦後から1970年代くらいまでの日本の食は非常に低い水準にあったし、添加物や化学調味料、模造品などの問題もあった。昔は良かった、という人はそのような都合の悪いことをみんな忘れてしまっているだけである。

 大人は「今のほうがいい」と言ったほうがいいし、言える社会にする責任がある。そうじゃなければ、希望なんて誰も持てないように感じる。

 と、言っておきながらそんな僕でも「昔のほうが良かったのではないか?」と思うことがある。それは食品の包装だ。

 今、スーパーに行けば肉や鮮魚はプラスチックのトレイで売られているけれど、『プラゴミ』の日になるとそのトレイが山のように出て、げんなりする。

 昔、食品を包むのに使われていたのは経木である。経木とは木を紙のように薄くした和風のキッチンペーパーのようなものである。すべて燃えるゴミで捨てることができ(もちろん回収したプラスチックゴミも多くが燃料として使われはするが)、土に還る包装材だ。

「昔は外で買い物をすれば肉や魚もこれに包んでくれたものよ」

 と年配の方は言うが、見る機会は減り、いつのまにか台所からも姿を消した。

殺菌成分で味と鮮度を保つ
和食に欠かせない「経木」のパワー

まったくの手作業。日本人のDNAに訴えかけてくる白木の美しさ

 たまの外食でカウンターの居酒屋や日本料理店に行く。冷蔵庫からラップに包まれた刺身用の柵をとりだされると「うーん」と思う。冷やしすぎている刺身が美味しくないのはもちろんだけど、ラップはいかにも味気がない。

 昔の仕事では魚や肉を冷蔵保存する時は経木で挟むものだった。やっている人も減ったようだが、それに習って試してみると案外と具合がいい。

 ちゃんとした理由もある。鮮度の良すぎる魚や肉は味が乗ってこないので、冷蔵庫などで寝かせる必要があるけれど、鮮度が落ちてしまっては元も子もないのだ。