鮮度が落ちる原因は表面の水気による細菌の繁殖である。経木は表面の水気を吸い(キッチンペーパーと違うのは吸いすぎないので刺身がパサつくことがない)、また松の木の殺菌成分により味と鮮度を保つことができる(安い切り身などは経木で挟んで数時間おけば臭みも消える)。

 経木を使うのはたんなる懐古ではない。科学的な裏付けがあるのだ。日本料理ではアナゴなど身の柔らかい魚を大鍋で煮るとき、柔らかくて軽い経木は落し蓋にも使われる。他にも様々な使い方があるわけで、それを忘れてしまうのは勿体無い。

 群馬県桐生にほど近い、みどり市にある阿部経木店は現在では少なくなってきている経木の製造所のひとつである。訪れると工場の表には丸太が並べられ、端材が積み上げられていた。

親子で技術を守る阿部経木店。木の香りが漂う気持ちのいい場所でした。木を扱う工場はきれいでいいですね

「使っている木は長野の上田近郊のものです。うちのところに持ってきてもらうのは若いのもあるんですけど、だいたい樹齢40年から50年といったところ。もっと樹齢を重ねたものもあるんですけどヤニが出てくるので、使いやすいのはそれくらいですね。経木の良し悪しは材料で決まるところが大きいです」

 二代目の代表の阿部ハツオさんに説明をいただく。

「なるべく節を抜いて、四角く切っていきます。木は生の状態で持ってきてもらうんです。乾いた状態でもってくると削れないので。今の販路としてはやはり鮮魚関係。あとは揚げ物をくるんだり、豚まんじゅう。ほとんど紙になってしまいましたが、お使いいただいています。あとは納豆に使っていただいていますね」

 経木が最も脚光を浴びていた時代は明治期である。経木は明治37年には農商務大臣によって重要生産品に指定されている。経木でつくったマッチ箱や経木真田(帽子の材料)や経木織物は輸出産品であり、生糸や絹などに並ぶ重要な存在だった。紙のように薄く木を削ることができるのは日本だけだったのだ。その時代、経木をつくる技術は発展し、食品を包んだり、料理に使われる薄経木(以下、経木)も全国に広まっていった。ちなみに厚経木というのは折箱(本連載第13回参照)の材料だ。

昭和30年代をピークに「時代遅れ」に
忘れてはいけない有機性と機能性

 かつて群馬県は経木の生産量では全国一だった。消費の多かった東京にほど近く、上州のからっ風という乾いた気候が製造に適していたこと、また残材が生糸の生産(例えば前橋は一代生産地だった)の燃料として使われていたことがその理由だそう。また、昭和33年に発売され全国に普及した製造機を発明したのは群馬県の阿部儀秋氏である。

「その人はうちの遠い親戚なんですが、そんな関係もあって群馬の経木は有名だったようです」

 昭和35年から36年のピーク時には生産量は東京の需要の7割を供給していた。しかし、その盛りにも影がさしはじめる。スーパーマーケットの登場である。経木組合も宣伝ビラなどをつくるなどして利点をアピールして対抗したようだが時代の変化には抗えなかった。