日本民主化計画の裏の理由
そして、GHQが日本を民主化した理由が、もう一つある。それは日本の利用価値だ。利用価値の高い国は、乱暴に組み伏せるよりも、無傷のまま従順な国にするに限る。では、どんな利用価値があるのだろうか?
まず、植民地としての価値。戦前の日本には、軍需産業から発展した高度な技術力があった。ならばゆくゆくは、アメリカがほしい工業製品を作らせ、アメリカで余った食糧を買わせるなどすれば、かなり利用価値の高い植民地にできる。
もちろん、僕らからすれば「日本は植民地なんかじゃないぞ!」と言いたくなるが、終戦間近に行われた「ヤルタ会談」の頃には、日本はすでに「戦勝国の景品」扱いだったのだ。
1945年2月に行われたヤルタ会談は、戦後の国際秩序について話し合う米英ソの首脳会談だったが、そのとき、アメリカのフランクリン・ルーズベルトと、ソ連のヨシフ・スターリンは、「ソ連が対日参戦すれば、その見返りに樺太と千島列島を譲る」という密約を交わしている。
日本の領土を譲るなんて約束を、日本のいないところで勝手にしている。ということは、米ソとも、戦後は日本を自分のものにする気満々だったということだ。しかも、実現こそしなかったが、占領初期には「日本の公用語を英語にする計画」や「通貨をドルにする計画」まであった。言語と通貨をアメリカと同じにするのは、植民地化と言われても仕方がない。
また、アメリカの意識として、来るべき「冷戦」への備えとして日本がほしかったというのもあった。冷戦とは、アメリカを盟主とする資本主義陣営と、ソ連を盟主とする共産主義陣営の対立構造のこと。1917年にロシア革命が起こり、その後ソビエト連邦(ソ連)へと変わったロシア改めソ連は、マルクスやレーニンの思想を受け継いだ歴史上初の共産主義国家として、アメリカと肩を並べる大国になっていた。
イケイケのソ連は、すでにやる気満々だ。東欧を共産主義化してファミリーも増やしたし、樺太・千島・満州ルートも押さえた。なら、アジアでの対立激化に備えて、ちょうどいい場所に「反共の砦」は必要だ。
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