GHQはなぜ日本を「民主化」しようとしたのか?

 GHQの本格的な占領統治の方針、それはかなり意外なものだった。マッカーサーが選んだ日本の統治方法は「民主化」。なんと彼は、戦後日本を「民主化」すると宣言したのだ。

「え? 敗戦国が民主化されるのって、普通のことじゃないの?」

 僕らはついそう思いがちだ。なぜなら、自分たちがそうされてきたから。でも実は、敗戦国の民主化は、全然普通でも当たり前でもない。ここはちょっと、連合国の気持ちになって考えてみよう。

 この頃の日本は、国際社会という檻から逃げ出した虎みたいなものだった。山に逃げ込んで地域住民を次々と襲っているうちに、昔のルールも飼育係の顔も忘れてしまった。猟友会のメンバー(連合国)は、何とか捕えようとするが手強く、もう何人犠牲になったかわからない。

 でもその虎、猟友会が放った超強力な麻酔銃二発で、やっと捕まえることができた。しかし、ここにいたるまでの猟友会の被害も甚大だ。腕を食いちぎられた者や目を潰された者、家族を食い殺された者もいる。こんなとき、目の前で泡を吹いている虎を見て、普通の人間ならどう思うだろう。

「よし、この虎を民主化するぞ」――こんなの絶対、ない。

 こういう場合の選択肢は「(1)駆除する」「(2)力づくで押さえ込む」「(3)心の優しい虎に改造する」のどれかだ。民主化はもちろん(3)。実際は虎じゃないから(2)はないにしても、普通に考えれば、(3)よりも(2)がまず浮かぶ。

 つまり、昨日まで敵だった連合国なら、最有力の選択肢は「とりあえずボコボコにする」だ。しかも、フィリピンのルソン島の戦いで負けて敵前逃亡という屈辱を味わったマッカーサーなら、まず日本を2、3発ぶん殴ってから唾をペッと吐きかけ、「おい、手足の2、3本へし折って、地下牢に叩き込んどけ!」みたいになるはずだ。

 なのに民主化。一体なぜだろう? それは、民主化が軍事的には「弱体化」を意味するからだ。「え~、そんなバカな! 民主化が弱体化だなんて……」と思う人もいるだろう。だが、北朝鮮やイラク、リビアあたりで想像してみてほしい。独裁者のいた軍事国家を民主化したらどうなるだろうか。再び強い軍事国家になるイメージがわくだろうか。

 民主化とは「全人民を主人公にする」ことだから、独裁者の出現を許さず、国民すべての声に耳を傾ける政治になる。理想的だ。でもそれはリーダーシップの不在につながり、軍事的には弱体化になる。

 一億人全員に言うことを「聞かせる」国と、全員の言うことを「聞いてやる」国、どっちが怖いだろう? 明らかに前者だ。しかも民主化は「絶対正義」だから、誰からも反対されず、むしろ世界から称賛される。当の日本にまで感謝されるだろう。やっていることは「軍事的な去勢」なのに。

 というわけでマッカーサーは、この際日本の戦闘力を徹底的に削ぎ落とす狙いで、日本で一連の民主化改革を実行したのだ。

 その改革内容については、新刊『やりなおす戦後史』で詳しく解説しているが、ここではポイントだけ記しておこう。

・軍隊の武装解除/特高警察廃止/治安維持法廃止(→軍国主義の廃止)
・軍需産業の解体と中間賠償/在外資産の没収(→ドイツの失敗例から巨額賠償金を求めない)
・財閥の解体(→軍国主義のスポンサーだったから)
・農地改革(→タテ社会の解体)
・労働組合の育成(→資本家を弱体化させ輸出競争力ダウンへ)
・憲法の改正(→民主的な憲法へ)
・天皇を国家元首から「象徴」へ/天皇制は存続(→間接統治で利用)
・民主的な戦後教育(→戦争への反省・罪悪感の植え付け)
・言論及び新聞の自由(→ただしプレスコードを発布し、GHQ批判等は厳禁)

 これらは確かに素晴らしい政策が多い。しかし、これで強くなるか弱くなるかと言えば、間違いなく弱くなりそうだ。一方、こうした改革が実行されたということは、かつての日本はGHQからこう見られていたということも、逆にわかってくる。

「強い求心力のあるリーダーの下、強力な軍事力を持つ政府が、野心的に市場拡大を狙う財閥と結託して植民地の拡大を図り、国民生活を統制する国家」

 優柔不断に右往左往する今の日本からは想像できないが、これが当時、外から見られていた日本の姿だ。このままにしておいたら、マッカーサーも手を焼かされる。だから民主化の美名の下、雄々しい部分を削ぎ落とされたということだ。