ダメ上司に共通するのは
強すぎる「権力への意志」

 本稿の文脈に照らし合わせて単純化していえば、前者は「部下とともに歩み発展していこうとする」ことであり、後者は「威張る、権力を持つことを目的とする」ことである。後者の極端に強い人は、権力そのものが目的となるため、部下を振り回すこと、自分の言うことを聞かせることが主眼となり、その内容を省みない。つまり自分が権力者であることを確認できれば満足なのだ。

 一方、共同体感覚の優れた上司は、部下との調和、部下のキャリアアップという教育的な視点を持ちつつ、組織として高いパフォーマンスを出すことを第一とする。

 筆者がこれまで取材してきた「ダメ上司」は、圧倒的に後者の「権力への意志」ばかり強い人々が多かった。

 米国の成長企業の多くは、上下の区別をあまり重視しない。会議の場でも、上下の区別なく、誰もが自由に自分の意見を言う。だが、意思決定とその責任については、明確に上下差があり、上位の上司になるほど意思決定の権力が強く同時に責任も大きい。こういった社風は、グーグルやピクサーなど、創造性を発揮している会社に多く見られるものだ。

 本来は、組織において「悪い上司」がうまく淘汰されるようなメカニズムが働くことが、今の日本において重要なのだが、筆者の考えでは、これはすぐに解決される問題ではない。悪い上司を淘汰するには、それより権力のある上司による圧力が必要となるが、その最高位にいるのは、基本的には株主となる。株主が経営体質を精査し、改善を求める圧力をかけるような、米国型の構造ができなれば、「ダメ上司」の淘汰は難しいだろう。

 したがって、付け焼き刃ながら、いま一般社員にできることは「ダメ上司」と「良い上司」を見極め、「ダメ上司」からの被害を最小限に抑えつつ、自分を発展させていくことだろう。「ダメ上司」は部下を育てる気はないからだ。