日本で誕生し、親は日本人なのに、戸籍のない日本人が推定1万人以上、日本で暮らしている。暴力を振るう夫と正式離婚できなかったり、貧しくて出産費用が払えず出産証明書を病院から受け取れなかったりなど、さまざまな理由で出生届を役所に提出できず、子どもの戸籍が作れないのである。「助けて!」と言い出せない事情が個々にあり、社会的に認知されてこなかった、この問題を掘り起こした『無戸籍の日本人』(集英社)の著者、井戸まさえさんに実態や解決策を聞いた。(「DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部」副編集長/大坪亮)
1965年生まれ。東京女子大学卒業。松下政経塾9期生。5児の母。東洋経済新報社記者を経て、経済ジャーナリストとして独立。兵庫県議会議員(2期)。衆議院議員(1期)。 NPO法人「親子法改正研究会」代表理事、「民法772条による無戸籍児家族の会」代表として無戸籍問題、特別養子縁組など、法の狭間で苦しむ人々の支援を行っている。 著書に『子どもの教養の育て方』『小学校社会科の教科書で、政治の基礎知識をいっきに身につける』 (共に東洋経済新報社。佐藤優氏との共著)。
──無戸籍で苦しむ人々の支援を始めて13年間ということですが、きっかけは井戸さんご自身の経験にあったということですね。
私の子どもが1年間、無戸籍状態だったのです。私は長い別居・調停期間を経て2002年3月に離婚し、8カ月後に再婚して、現夫との間の子どもを出産しました。病院退院の日、夫が市役所に出生届を提出し受理されたのですが、その日の午後、市役所から電話がかかってきて、「離婚265日後の出産ですね。民法772条の300日規定(離婚後300日以内に生まれた子の父親は前夫とする)により、父は前夫となります。書き直して、出生届を再提出してください」と言われたのです。
何の話か全然わかりませんでした。民法772条なんて知らなかったから。離婚、再婚と正式な手続きを経ての出産なので、問題なんてあるはずないと思っていました。
現夫でなく、事実とは異なる、前夫の子として戸籍を作るなんておかしいので、何度か役所とやりとりしましたが、聞き入れてもらえませんでした。
──「300日規定」とは、どういうことなのですか。
120年前の明治時代に作られた民法による規定です。妊娠のメカニズムや親子関係の鑑定法などが科学的に確立されていなかった当時、離婚時の子どもの父親を早期に確定して養育義務を明確にするために作られたのですが、科学が進歩した今日においては、合理的な理由がまったくない規定です。
──2002年当時は、「前夫が、自分の子ではないと訴える」か「前夫に対して、その訴えを行なう」かの2つの方法しか打開策はなかったのですね。
そうです。でも、前夫とは長い協議離婚を経た後だったので、この問題に巻き込みたくはありませんでした。
子どもの無戸籍状態という不安に苛まれながら、何か他に方法はないかと必死に勉強した結果、見つけた方法が、「今の夫を相手取った調停を起こして子どもを認知させる『認知調停(強制認知)』です。これが可能だったのは、1969年に京都の女性が訴訟して最高裁判所が出した判例があったからです。
知人のつてを頼って、法務省民事局の局長らと話す機会を得て、その方法で可能だと“お墨付き”をもらい、家庭裁判所に向かったのです。しかし、裁判所では「こうしたケースは初めてなので、調停ではなく裁判で」と言われ、私と子どもが原告で、現夫が被告というおかしな裁判を経て、ようやく現夫の子として戸籍がとれました。
この間の経緯は本に書きましたが、たまたま私に政治家とのつながりがあったから道が開けたわけです。同じように苦しんでいる人は多いでしょうから、自分と同じ方法を活用してもらうことで解決できるのではないかと思い、インターネットで自分の経験を公表しました。
そうしたら全国から多くの反響があって、いろいろな事情で無戸籍や事実に反する戸籍を作らざるをないケースがあることを知ったのです。
家庭内暴力(DV)の夫から逃げ出し、籍を抜けられないままに別の男性の子どもができてしまったり、親のネグレクト(責務放棄)によって子どもの出生届が出されていなかったり、貧困が原因で出産証明書を病院から受け取れずに無戸籍のまま成人したりなど、理由や事情はさまざまです。