ネットの住民が大好きな
「決めつけ」に潜む罠

 本連載「黒い心理学」では、ビジネスパーソンを蝕む「心のダークサイド」がいかにブラックな職場をつくり上げていくか、心理学の研究をベースに解説している。

 ここのところ、さまざまなニュースが話題になっている。インドネシアでのテロ事件、安倍政権の政策やヘイトスピーチをめぐる左翼と右翼の衝突、SMAPの解散騒動など、目玉ニュースの移り変わりが激しい。そういったニュースが出るたびに、ネットで多くの意見やつぶやきが投稿される。その影響力は昨今では無視できず、マスメディアや政治家も影響を受ける。

他人の行動を分析する際、「本人が望んだに違いない」と早合点しがち。それは、心理学的にも立証されている人間心理の傾向である

 筆者はそういうネット上での書き込みを見るとき、心理学者として、ある部分に違和感を覚えることがある。この違和感は、ビジネス場面でのインタビューをしているときにも感じることがある。

 筆者が違和感を抱くのは、ある行動をとった人物を分析する際、その人物が「望んで」そういう行動をとっている、と決めてかかる意見がかなり多いことだ。もちろん、そういう場合もあるだろうが、もう少し慎重に物事を見るべきと考えている。

 ビジネスシーンではないが、1つの例を述べたい。

 いまから数年前、インドのムンバイで列車爆破テロ事件があった。ムンバイはインドの金融センターというべき場所で、外国人も多い国際都市である。そこの主要駅を含む7ヵ所で11分の間に連続して爆破が起こった。複数の実行班が列車や駅に時限爆弾入りのかばんを置いたのだ。死者200人を超える大惨事となり、当時はその影響で東京株式市場も大幅に値を下げたほどだ。パキスタンに本拠を置くイスラム過激派が犯行声明を出し、インドとパキスタンの関係がさらに悪化するきっかけにもなった。

 最近ではイスラム国(IS)による大規模テロが欧州で起こり、筆者の住むマレーシアでもつい先日、自爆テロ犯が未遂のまま拘束された。こういったテロへの不安が増大する一方、私たちはテロリストの実際についてはあまり知らない。正確には、「知ったつもりになっている」のだ。

 多くの人は彼らについて、「狂信的なイスラム原理主義者で、自分たちの信ずるイスラム世界をつくるためには、他教徒を殺しても構わないと思っている人々」といったイメージを抱いているだろう。だが、少なくとも自爆テロ実行犯については、そのイメージは外れていることが多いのだ。

 筆者の友人であるインド系マレーシア人から、先日初めて聞いたのだが、その犯人のひとり、Aは、当時マレーシアに住んでいた。そして筆者の友人は、そのAの友人だったそうだ。