【斉藤】学術書などの翻訳は私も何度も手がけましたが、翻訳で必要な能力は「助動詞のニュアンスを正確に書き分けられる力」だけではありません。訳す対象について、歴史背景や言語の周辺にある知識も深く幅広く理解していないと、まともな翻訳はできません。

一方で、日本の教育は、入試問題がまさにその典型ですが、「少量の文章を精読していくこと」に引きずられがちです。

でも、本当に知的な作業では、大量の文章を斜め読みしながら20%理解するとか、ある程度精読するけど理解度は7割とか6割でいいという読み方が多いじゃないですか。

【津田】そういう読み方が怖くて文章を大量に読まない。それで語彙力も増えないという悪循環に陥っているわけですよね。

【斉藤】中学受験生などは特にそうです。自分も経験がありますが、大学で仕事をしていて、読んで引用するということばかり繰り返していると、楽しみながら文章を読めなくなってきます。義理で文章と付き合うような姿勢になってしまうんです。文章を読み込む歓びが失われ、すでに小学校6年にして仕方なく読むことしかできない、そうなっているような子が、けっこういるような気がしてなりません。

コミュニケーションには意思疎通する楽しみ、つまり自分を表現する、他者の表現を味わう、そういった喜びがあるはずなんです。ところが、そんなこととは無縁に分析を繰り返すのが当たり前だと思っている子たちが多いんですよね。

(次回に続く)

次回:入試が変わるだけで、日本人の思考力はかなり変わるかもしれない!?