津田久資(つだ ひさし)東京大学法学部、および、カリフォルニア大学バークレー校経営大学院(MBA)卒業。
博報堂、ボストン コンサルティング グループなどで一貫して新商品開発、ブランディングを含むマーケティング戦略の立案・実行にあたる。
現在、AUGUST-A株式会社代表として、各社のコンサルティング業務に従事。また、アカデミーヒルズや大手企業内の研修において、論理思考・戦略思考の講座を多数担当。表層的なツール解説に終始することなく、ごくシンプルな言葉で思考の本質に迫る研修スタイルに定評があり、のべ1万人以上の指導実績を持つ。
著書に『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか』『世界一わかりやすいロジカルシンキングの授業』などがある。

【津田】僕が企業研修をしている中で痛感しているのが、ビジネスパーソンの「考える力」が落ちているということです。これはなぜかといえば、「日本語力がないから」です。なぜ日本語力がないかというと、日本語を「慣れ」でやっているからでしょう。つまり、外国語のようにきちんと日本語を勉強していないので、「なんとなく」でしか考えられない。それは「考える」とは呼べないわけですが。

【斉藤】そうなんですよ。「暗黙知を言語化する」という作業がすっぽり抜け落ちてしまっている。津田さんの本の中で「虹の7色」の話があったように、概念を構成するとか領域を定義して比較するといった基礎作業が案外できていないんですね。

イェール大学と日本の大学の違いとしていちばん印象的だったのが、イェールでは学生寮に作文チューター(学士課程の学生への学習助言や、教授の補佐を行う人。同じ学科の大学院生である場合が多い)が常駐していることでした。

現役の弁護士・作家・ジャーナリストなど、普段文章で戦っている人たちが、チューターとして直接学生を指導するわけです。日本の教育文化では、文章を丁寧に書き直していく作業の重要性が、日本語でも外国語でも、小中高大の全段階で過小評価されています。

そもそも日本語を
話せない子が増えている!?

【斉藤】アメリカのトップクラスの教育機関はたいていの場合、「作文教育がわが校の誇りだ」と自負しています。文章をつくる力、言葉を使って表現する力を培う努力を徹底しているわけです。

田舎の小さなリベラル・アーツ・カレッジ(小規模教養型大学)でも、夜12時まで開いているライティング・クリニックがあったりして、そこで学生たちがレポートを直してもらっています。

自分の頭の中にあるモヤーっとしたものを言葉にする。このための基礎的なトレーニングがなされていない点が、日本の教育の弱さだと思いますね。

【津田】そうなると複雑なことが伝えられなくなりますよね。結局、ツーカーで伝わる文くらいしか書けない。しかも問題なのは、人に伝えられなくなることだけじゃない。基礎的な語彙力がないと「考える」こともできません。これが思考力の劣化につながっているんじゃないでしょうか。

ですから僕は、日本人は一度「日本語を外国語のように勉強する機会」をつくったほうがいいんじゃないかとすら思っています。

【斉藤】おっしゃるとおりですね。最近の子どもを見ていると「意味論」レベル以前に「音韻論」レベルで、日本語をしっかりと習得できていない子がいます。

つまり、日本語をきちんと「音読」できないんですよ。

【津田】それは……深刻な話ですよね。

「日本人は一度、日本語を外国語のように学ぶべきなのではないか」(津田氏)

【斉藤】私は山形県酒田市の出身ですから、大学生として東京に出てきたとき、自分のマザータング(Mother Tongue:母語)である酒田弁と標準語の音のズレに敏感にならざるを得ませんでした。

東京で育った子たちは、日本語の発音を暗黙知として理解しているので、深く考えません。しかも、日本語が暗黙知のままになっているから、外国語を勉強したときにつまずくんですよ。
本当は、アナウンサーのように発音練習をやるべきかもしれませんね。

うちは英語塾なので、生徒にシャドーイング(耳で聞いた音をほぼ同時に発声していく語学習得法)課題を出します。
独自開発したアプリを使って彼らが音読練習をした映像・音声を提出させ、教師側がそのファイルを添削して返却するわけですが、これも発音の違いを明示的に理解してほしいからなんですよね。言葉の深層では「意味」と「音」って不可分ですからね。