日本式のコミュニティによる経営は
なぜ機能しなくなったのか

 つまり、ボストンコンサルティングの分析は、「リーダーシップ、戦略、分析が全てだ」という米国流経営ドグマの色眼鏡を通して行われたものに過ぎず、ホンダ躍進の本質を全く理解していないものだ。

 確かに本田宗一郎は稀有なリーダーであったが、彼は「利益を上げるリーダー」というよりは、「技術者集団としての組織を育て上げるリーダー」であった。ソニーにせよ松下電器産業(現パナソニック)にせよ、組織を大事にする文化は日本企業の特長だった。

 ただ、筆者の視点からすると、ミンツバーグの主張には異論がある。

 このミンツバーグの描く「コミュニティ」は西洋的個人主義に基づくものだ。確固たる自分の意見を持った独立した個人が、自ら望んで集まり、集団にコミットし、コミュニケーションを持ち、アイディアと創造性を発展させていく。これが西洋的自己観に基づいたコミュニティだ。

 しかし日本の「コミュニティ」はそれとは様相が異なる。人々は個々の意志で集まるというより、あまり選択肢のない中で、極端に言えば「仕方なく」集まった人々が、「ま、ここでやっていくしかないよな」という諦めのもと、集団規範に組み込まれて成り立っているのが日本型コミュニティだ。

 そこでは、個人のユニークな考えではなく、集団の持つ空気を読むことがより重要で、どのように集団に順応していくかがカギとなる。

 日本の企業のコミュニティとは、むしろこのようなタイプであった。したがって、上司や「お局様」の顔色をうかがったり、皆が有給を取らずに働くならば自分も取らないというように、空気を読んだりしなくてはならない。個人よりも集団の規範が重要となるからだ。もし規範を破った場合には、いじめ、左遷、窓際などの「罰」を受けることになる。

 個人が自発的に集まるコミュニティと、集団がその規範の中に個人を巻き込んでしまうコミュニティでは、そのメンバーのメンタリティや行動規範は自ずと違ってくる。前者では、個人は自分が集団にいかに貢献できるかを考えるのに対し、後者では、個人は自分がいかに集団から利益を得られるかが重要になる。つまり、「タダ乗り」のメンタリティが増えるのだ。

 だから、ますます強い集団規範が必要となる。それが立ち行かなくなったのが、バブル崩壊後の日本組織だ。その直接的な理由は、年功序列、終身雇用といった「長期的関係」の組織をつくり上げる制度がなくなったことである。

 先に挙げた日本企業に特徴的な集団規範も、メンバーが「他にいくところがないし、我慢していれば将来的には報われるので、今は集団に順応するしかない」という状態に置かれて、初めて機能するものだ。しかし、これらの制度の崩壊により、その状態はなくなった。

 後に残ったのは、日本型コミュニティの崩壊とブラックな職場だった。その一方で、アメリカ、中華式の「商機を逃さない」やり方は根づいてない。これがグローバル競争のなかで日本企業の苦戦している文化的理由である。

 したがって、日本が進むべき道は、「中華、米国流の商売中心、コミュニティ無視」によって、グローバル化での競争力を身につけるか、「新しいコミュニティ構築による新日本型経営」の道を進むかである。

 心情的には筆者も後者を選びたいと思っているものの、後者の実現には、マクロな制度から、ミクロな心理的要因まで、いくつものハードルを越える必要がある。

 その具体的内容については、また稿を改めて紹介したいが、キーとなるのは、「人が育つ組織環境」であると思っている。それ自体がコミュニティのクオリティを表しているし、長期的な利益を決めるものだからだ。