危機のリーダーシップ、窮地を打開したリンカーンの手法
最新の電信技術で、北軍のリンカーンは最前線の将軍や士官と連絡を取ることが可能でしたが、大統領からの電信命令に従わない将軍が何人も発生して混乱します。開戦の年には命令を拒否したパターソン将軍を罷免、翌62年の秋には民衆に人気のあったマクレラン将軍を罷免。63年にはさらに多くの将軍を矢継ぎ早にクビにして、それまでの戦闘で実績を示した若手将校たちを抜擢、要職につけていきます。
「将軍罷免の理由はつねに明快であった。結果を出さなかったことに対して、責任をとらせるのである。こうして、リンカーンが下す(将軍罷免)に、まわりの人達は納得せざるを得なかった」(内田義雄『戦争指揮官リンカーン』より)
1863年から急速に北軍が戦勝を重ねるのは、指揮官がこの時期までにほとんど入れ替わり、リンカーンが勇猛で優秀な士官を将軍に抜擢したからです。同年春には南軍の名指揮官ジャクソンが戦死。南軍は窮地に追い込まれていきます。リンカーンのもう一つの特徴は、トップしかできないことを広く手がけたことです。
・海上封鎖を開戦直後に命令した
・英仏の干渉を食い止めた(奴隷解放宣言)
・電信網と鉄道を使い、前線との連絡と補給を確保した
・勇猛果敢で優れた将軍を探し続けたこと(無能な人物も見つけて罷免)
・ゲティスバーグ演説を含め、国民を鼓舞し大衆の支持を得たこと
海上封鎖、英仏の干渉阻止、連絡網と補給整備、国民の支持を広く得ることなどは、戦場で戦う兵士や将軍ができることではありません。リンカーンは、無能な将軍たちに激怒しながらもトップだけが果たせる役割を見出し、確実に遂行する視野の広さがありました。
一方、南部の大統領デイビスは、軍人の経歴が長く、リー将軍など軍人の優秀さを見抜けても、トップが果たすべき職務を見つけて遂行する視野の広さと戦略眼が欠けていました。南軍は常に補給に苦しみ、デイビスは民心を支える演説もしなかったのです。
ビジネスでも、例えば職人上がりの人物は、現場への口出しや指示ばかりとなり、トップが整備すべき大きな課題を見つけることができないことがあります。逆に優秀なトップは、現場へ指導できる詳細な知識を持ちながら、外堀も抜かりなく埋めていきます。日本航空で再建の手腕を振るった稲盛和夫氏は、5000億円もの債務放棄と公的資金の注入を実現しながら、社員の経費の使い方まで細かく指導しました。
稲盛氏は航空業界の人ではなかったのですが、約3年で同社を見事に再上場させます。稲盛氏とリンカーンの共通点をあげてみましょう。
・トップでなければできない課題を見つけて達成する
・現場を詳細かつ正確に知り、細部にまで必要な指導を徹底する
・組織内の隠れたリーダーを抜擢し、無能な指揮官を見極めて降格させた
“危機のリーダーとしての資質”と呼べる才能がリンカーンには備わっており、トップだけが可能な決断を矢継ぎ早に行いました。資源や国力が豊富ながらも劣悪な指揮系統に悩まされ、一時は苦境に立った北軍を最後は見事に勝利に導いたのです。
(第11回に続く 4/15公開予定)