LINEとフェイスブックの違いは何ですか?

川村 ちなみに、僕はツイッターもフェイスブックもやっていないんです。オープンな場所で知らない人も含め多くの人とつながっていくことが、あまり得意じゃない。いまだにバックパッカーをやっているので、安宿とかでリアルに知り合うのはかまわないんですけど、一回も会ったことがない人やよく知らない人とネットでつながることに恐怖心があります。でも、こんな僕でもLINEは初期からやっていました。手紙の交換と変わらない感覚があって、生理的に違和感がなかったんですよね。
舛田 そういう意味では「リアルタイムで、リアルな関係の人と、リアルなコミュニケーションができる場を」という気持ちがありました。ツイッターとフェイスブックがなければ、LINEは生まれていないと思います。

川村 確かにLINEの戦い方は真逆ですね。フェイスブックでは自分の仕事や主張、交友関係をアピールすることに躍起になって、別人格になる人もいると聞きます。
舛田 そうじゃなければ、どこでご飯を食べたとかって話になるし、投稿したいからミシュランの店に行こうみたいな、手段と目的をはき違えてくる。でも、それって実際はやる方も見る方も疲れるんじゃないかと思うわけです。

川村 『億男』という小説を書いたときも、本屋に行ってお金にまつわる本を調べたら、「億万長者になるには」みたいなものしかなかった。でもそのとき「億万長者になるよりも、どうやってお金と距離感を持って幸せになるかだよな」と思ったんです。だから、フェイスブックで高級料理やリゾートの写真を載せるほど、もしかしたら幸せから遠ざかっていったり、見ている友人からも疎まれていくんじゃないかなと思うときがあって、LINEはそこの矛盾を突いた感じがありますよね。
舛田 例えばフェイスブックの創始者であるマーク・ザッカーバーグのエッジの利いた思想として「世界の70億人をつなげたい」っていうのがあった。それはそれで素晴らしいし、今までのインターネットやテクノロジーも最大限それをやってきたと思うんですが、よく考えてみると、気持ち悪くないかって。ビジュアル化したら、全員が手をつないでいる状態です。その先にはきっと、あまり好きじゃないやつもいるし。

川村 危険なやつや、こっちが好きじゃないやつもいるかもしれない。
舛田 そうなんです。そんな状況を全員がウェルカムだと思っていないんじゃないかと。一般の人たちには小さなパーソナルゾーンが存在していて、そこに他人が入ってきてはいけない。70億人とつながらなくてもいいけど、ワン・トゥ・ワンや家族のような単位のつながりが世界中に山ほど生まれていくのがLINEの理想的な姿です。