一連の地震と土砂崩れで大きな被害が広がった南阿蘇地域では、交通が寸断されて物資の補給がままならない。その上、水道の復旧にめどが立たず衛生面の悪化が深刻化している。現地入りしていた徳洲会グループの機関紙『徳洲新聞』の上田昇編集長に被災地の状況を語ってもらった。(聞き手・構成/フリーライター・兼松昭夫)
4月14日に九州地方を襲った熊本地震は、マグニチュード7.3の「本震」が16日未明に発生すると状況が一変し、長期戦の様相を見せ始めた。
医師や看護師など主に徳洲会の医療スタッフらで構成する災害派遣チームNPO法人「TMAT」の先遣隊は14日に現地入りした後、「緊急性の高い患者は少なく、医療ニーズは減少している」と判断。翌15日には活動を一旦、終了させた。しかし、本震の発生による被害の拡大が確認されたため16日午前10時ごろ、全国の徳洲会傘下の病院や介護施設の幹部宛てに、TMAT本部からスタッフ召集の号令が掛かった。
わたしは16日夜に福岡入りするとそのまま熊本市に向かい取材を開始。翌17日夕、この日東京から視察に訪れたTMATの福島安義理事長と合流し、大隅鹿屋病院のドクターカーに同乗して一連の地震と土砂崩れで大きな被害を受けた南阿蘇地域に入った。
事前に情報収集して地震や地滑りで寸断されていない道路を選んで移動したが、それでも路面の所々が陥没したり隆起したりしているらしく、時折激しく車体が揺れた。被災地を一日中、奔走した疲れが出てうっかり居眠りしていて座席から転げ落ちた。
交通寸断されて陸の孤島に
体育館に地域住民ら800人
南阿蘇は、阿蘇山の南西の麓に位置して周囲を山に囲まれた地域だ。県中心部の熊本市内に比べるとコンビニエンスストアはもちろん、自動販売機もあまり見かけない。一連の地震で寸断された道路もあり、これが物資の補給をさらに困難にしている。まさに陸の孤島と化している。
到着地まであとどれだけ走るのか見当もつかない。日が暮れて車外の様子を全く見通せないこともあって不安が募る。被災地を日中から移動し通しの福島理事長の体調が気になり、「引き返しましょう」と途中で進言しそうになったほどだ。
熊本市に比べて南阿蘇地域は標高が高く、車内の気温はどんどん下がる。4月の中旬とはいえ上着をはおらないと厳しい。やがて幹線道路が自衛隊の車両やほかの医療チームの緊急車両で渋滞し始め、熊本市を出発して2時間、目的地が近いことを知らせてくれた。
17日現在、地域住民ら約800人が避難し、TMATが活動拠点を置く東海大キャンパスの体育館に着いたのは19時30分ごろだった。体育館は避難してきた住民たちで溢れ返っていた。本格的に寝るにはまだ時間が早く、被災者たちは身体に毛布を掛けて床に寝転んだり、座り込んだり。小さな子どもを連れた家族から高齢者まで、世代もさまざまだ。