これまで当連載では、「承認欲求」が強くなっている現代社会について、社会的な背景を中心にその原因を探ってきた。特に、若者層で「社会に認められず右往左往している人」が増加している背景を語ってきたが、今後は私たちがビジネス活動をしていくなかで承認欲求の強い彼ら、彼女らとどう折り合いをつけていくかを論じていこうと思う。
あなたの周囲にもいない?
会社で認められない「ゆるふわ社員」
今回は「ゆるふわ社員の取扱説明書」と題して、このような社員に会社でどうパフォーマンスを発揮させていくかを考えていきたい。「ゆるふわ社員」とは造語で、下記のような特徴を持った社員を指す。
・仕事のパフォーマンスは低く、自己評価も低い。
・出世を望まず、将来にわたって高給を求めない。
・仕事よりも自分の趣味に熱をあげる。
・苦手な人とはコミュニケーションを取りたがらない。
・上記のような性質をうまく隠す器用さを持っていない。
・会社や上司に対するリスペクトがない。
・仕事がまったくできないとか、コミュニケーションがまったく取れないというわけではない。
どうだろう? あなたの周囲にもいないだろうか?
こういった社員はおおむね会社組織で評価されていないことが多く、上司に怒号を飛ばされてしまうことも多い。しかし、考えてみれば年間100件の受注を決めてくる年収700万円の営業と、年間50件しか受注しないが年収350万円で満足する営業は、組織にとって同価値ではないだろうか。パフォーマンスは低くても、多くは望まないのであれば、組織にある一定の基準で必ず貢献してくれる点では貴重な人材だ。
自分の会社の話で恐縮だが、私の会社の給与は、完全に成果主義だ。その人が会社にどのぐらい貢献しているかによって給与や賞与を決定する。年功型の給料が崩壊するなかで、今後企業の給与体系は成果給に移行せざるを得ないだろう。
私が成果給を推奨する理由、それは、成果給は仕事ができる人にも、仕事ができない人にもどちらにも優しい点だと思う。仕事ができる人にとっては、単純に自分の取り分を増やすことができる一方、仕事ができない人は給与が低くなってしまうが、いわゆる「落ちこぼれ」も、本人のペースを保ちつつ現場で貢献することができるからだ。私は、年功給というのは、本質的に落ちこぼれを許さない不幸な制度だと思っている。
日本の社員教育の多くは、「出世」を前提としている。すなわち、幹部候補を育成する仕組みだ。だが、組織が右肩上がりの成長を続けない限り、ポストは捻出できず、結果一生平社員の人材を生むことになる。そういう社員を必要以上に厳しく叱りつけて何になるというのだろう。幹部候補やスペシャリストには意識の高い教育が必要だが、実は巷のマネジメント論に足りないのは、上記のようなゆるふわ社員といかに折り合いを付けていくかではないだろうか。
彼らと会社組織がうまくつきあえれば、その社員は一生平社員でも続けてくれる社員でもある。有能な社員は出世や高給を望むし、それが叶わなければすぐに独立か転職をする。しかし、ゆるふわ社員をそこそこ貢献してくれる社員に変えられれば、組織は安泰である。