法律至上主義の意思決定が
組織を破壊する

 この例は、グローバル本社やグローバル出向者が、法律で禁止されていないから、法律違反ではないからというだけの理由で、問題ないという見解をとる、わかりやすい例だ。法律には違反していないものの、求心力を著しく低下させたり、従業員からの信頼を崩壊させたりする、深刻な問題含みのアクションをゴリ押ししてしまった。

 法律でOKか、NGかという視点だけで物事を推し進めることは、実は極めて危険だ。このように申し上げると、「法律で規定されているかどうかで判断することは、当たり前のことだ」という声が聞こえてきそうだ。それは、全くそのとおりで、全く反論しない。

 しかし、法律で規定されていることは、私たちのビジネス活動のごくごく基本となる一部だ。法律に規定されていないことであっても、不適切なことは山ほどある。W社のケースでは、解雇そして新規採用を断行すれば、人心が乱れて組織が大混乱することは目に見えていた。企業が組織の体をなさなくなったら、企業活動の本来の目的を果たし得なくなる。

 経営陣だけではない。 法律の規定に固執するがあまり、最も実現すべき目的を損なうケースは、従業員の側にもある。この観点で真っ先に思い出す例が、専門業務型裁量労働制適用にあたっての従業員のリアクションだ。

 専門業務型裁量労働制とは、業務の性質上、業務遂行の手段や方法、時間配分等を大幅に労働者の裁量にゆだねる必要があると定められた業務の中から、対象となる業務を労使で定め、労働者を実際にその業務に就かせた場合、労使であらかじめ定めた時間働いたものとみなすという、労働基準法で定められた制度だ。

 従業員からの典型的な質問は、こうだ。「仮に1日1分しか働かなくても、1日働いたとみなされると法律で定めているわけですね。1ヵ月20日で20分しか働かなくても、法律違反にはならないのですね」

 そのとおり、法律違反ではない。そして、もし仮に、1日1分で十全なパフォーマンスを発揮していたのであれば、問題は小さい。しかし、それができる人は稀有であろう。十全なパフォーマンスを発揮できなければ、1日何時間勤務しようが、1分の勤務であろうが、勤務時間にかかわらず、評価は下がるし、低い評価が続けば、いずれ勤務継続を左右する事態になるだろう。

「解雇実施が法律で禁じられていないから適切だ」という見解も、「裁量労働では法律上、1日1分しか働かなくてもOKだ」と言い張る論調も、発言者の立場は異なりこそすれ、本来の目的を喪失して、適法か否かにのみ判断基準を頼ってしまう共通の問題なのだ。

 こうした状況に陥ってしまうのは、組織や職位の人が、実現すべき目的を喪失し、その目的を実現するための仕組みであるはずの法律や制度にのみ依存してしまうからだ。法律や制度は、目的実現のために変えられるし、変えるべきものであるにもかかわらず、いつのまにか、それに盲従してしまう麻痺状態に陥ってはならない。

※社名や個人名は全て仮名です。本稿は、個人の見解であり、特定の企業や団体、政党の見解ではありません。画像はイメージです。