政府の役割として今後ますます重要になるのは、所得・資産両面の富の再分配ではないだろうか。

 現在の先進国の経済は、私的な所有権を大幅に認めて、市場を活用した取引を行う事で効率を高めている。この仕組みを支える私的な所有権と、個人がその行使の結果得るものの格差については、概ね「フェアだ」との理解を多くの人が持っているように見えるが、人には、ある程度の結果の平等を求める本能があるように思える。そこからあまりに乖離してしまうと社会は不安定化するし、多くの人の幸福感が低下することになるはずだ。

 納得的な富の再配分のルール作りと、その効率的な仕組み化が、今後の経済政策として最も重要なものになるのではないだろうか。イノベーションは人の意図でコントロールできないが、幸い、富の再配分は人が決めることができる。

「働かなくても、食える」
労働倫理の書き換え

 納得的な再分配の仕組みを作ることと共に重要だと思うのは、労働に対する倫理観の書き換えだ。

 先般、スイスの国民投票でベーシックインカムが大差で否決されたが、この際の反対理由の一つで気になったのは、ベーシックインカムの存在が働く意欲を損なうことへの懸念だった。

 皆が働く意欲を低下させた場合ベーシックインカム自体が存続できなくなるし、労働が希少になると賃金が上がる理屈なので、この心配は杞憂だと思うが、「働かない者」に対して倫理的な嫌悪感や、処罰したいとする意識があるとすると、いささか心配だ。

 AI技術の発展による生産性の飛躍的向上と、利益の偏在は、旧来の意味では働かなくてもいい人を大量に発生させるのと共に、経済的な対価に結びついて働くことができない人を発生させる可能性がある。

 一定のルールの下に彼らを社会が扶養することが可能なら、それで構わないではないか、という寛容な倫理観が今後必要になるのではないだろうか。

「働かざる者、食うべからず」という倫理観は、生産性が不足している経済にあっては一定の意味を持つが、「(一部の人が)働かなくても、食える」のであれば、その方がもっといい世界だ。AIにせよ、ロボットにせよ、新技術は、よりよい世界を作るために使いたい。