リンカーンは「票の割れ」の
おかげで勝てたのか?

 こう考えていくと、リンカーンは多数決で票の割れが起きたからこそ勝てたのではないかと思えてくる。票が割れないボルダルールのもとだと、彼は勝てなかったのではないだろうか。

 この推測を細かく検証したのが、政治学に合理的選択理論を採り入れた先駆者、ロチェスター大学教授のウィリアム・ライカーだ。彼は1992年に公刊した著作『民主的決定の政治学』のなかで、その分析を行った(注2)。

 ただし分析といっても、1860年当時の大規模な世論調査が残っているわけではない。ライカーは、当時の政治状況と、実際の選挙データを組み合わせて、地域ごとに順序付けの分布を推測した。ライカーの推測とは例えば次のようなものだ。

1860年の実際の選挙データを見ると、南部のミズーリ州でダグラスに投票した有権者は5万8801人だった。
彼らの順序付けの1位はダグラス。
2位は誰かというと、ダグラスと考えが比較的近いブレッキンリッジだろう。
奴隷解放を訴えるリンカーンは一番嫌な候補、つまり4位のはずだ。
残るベルが3位だ。

 ライカーはそのように推測し、その5万8801人による順序付けは、上から「ダグラス、ブレッキンリッジ、ベル、リンカーン」と置いた。

 4人の候補への順序付けは24パターンあるが、「ダグラス、ブレッキンリッジ、ベル、リンカーン」はそのなかの1つだ。そのパターンにミズーリ州の5万8801人を追加する。

 そうした作業を積み重ねて、ライカーは24パターンある順序付けについて、それぞれに対応する有権者数を推測した。そうして作成した「ある順序付けを何人が持っていたか」のリストをもとに、ライカーは「多数決以外の選挙だったら誰が勝っていたか」を分析した。

注2 ウィリアム・ライカ―著、森脇俊雅訳『民主的決定の政治学』芦書房、1994

ボルダルールでは
リンカーンは敗北する

 彼が得た結論の1つは、ボルダルールのもとだと、全米での有権者からの票は、上から「ダグラス、ベル、リンカーン、ブレッキンリッジ」の順になる、というものだ。ライカーはボルダルール以外の方式も考察しているが、リンカーンが勝てるのは多数決だけだ。

 彼のこうした分析は、過去の状態を推測するという作業の性質上、順序付けへの推測が大まかだというネックはある。ただしライカーへの後続研究でも、やはりライカーと同様の結論が得られている。それらの諸結論をまとめると次のようになる。

 リンカーンは多数決以外の方法だと敗北していた。ブレッキンリッジは、多数決に限らず、大抵の決め方のもとで敗北していた。そして1860年の大統領選にブレッキンリッジが立候補していなければ、ブレッキンリッジとダグラスとのあいだで票の割れは起こらず、ダグラスが大統領になっていた。

 ボルダルールは票の割れを起こさないから、多数決よりもうまく人々の意思を反映する。だから1860年の大統領選にボルダルールを用いていればリンカーンは落選し、奴隷解放宣言は発されていなかったはずだ

 ボルダルールも多数決も、あらゆる決め方は結果を導く手続きである。そしてボルダルールという手続きは、有権者の意思をよりよく反映できる。だから有権者の資格が特定人種にのみ認められており、また彼らの大意が人種差別を求めるならば、ボルダルールはそのような結果を導く。

ボルダルールは、有権者の意思をよりよく反映する手続きとして優れているが、そのことは、起こる結果が善悪の観点から優れていることを意味しない。そこは有権者の意思しだいである。

 そもそも多数決だろうがボルダルールだろうが、有権者の大多数が特定者への差別を求めるならば、投票の結果は差別を求めるものになる。投票の結果がそうならないためには、人か制度のどちらかに頼るほかない。

 つまり、人々が差別に反対するという規範を備える、あるいは投票で差別的なことを決められないよう最初から制限しておく。憲法で人権をあらかじめ保障して、投票によりそれが侵害されないようにするというのは、後者の制度的なやり方である。