第三に、超大国との闘争を繰り広げるという点である。革命時代の中国共産党は当時軍事大国であった日本帝国主義との闘争を進め、戦後はアメリカ帝国主義との闘争を強調し、社会主義政党及び第三世界との「反帝国主義統一戦線」を結成しようとした。そして、アメリカと妥協する社会主義政党にはマルクス・レーニン主義に反する修正主義のレッテルを貼った。その一方でソ連とも社会主義のあり方を巡ってイデオロギー闘争を展開した。当時の中国は帝国主義と修正主義との闘いで妥協することなく、強い姿勢をとり続けた。

 第四に、社会主義勢力は平和勢力であり、先に戦争をしかけることはないということである。当時は冷戦の真っ只中で、毛自身も「第三次世界大戦は不可避」あるという認識であった。また当時の社会主義勢力の認識も「社会主義勢力のもつ兵器は世界戦争の根源である帝国主義に対抗するもの」というものであった。1964年に中国は初の原爆実験に成功したが、それは「帝国主義国の核独占に反対する」という建前で行われ、それはあくまでも「防御的」なもので「先に使用することはない」ことを強調した。これは現在の中国の「平和的発展」論にも通ずるものがある。

 以上、簡単に毛沢東の外交路線について述べてみたが、毛外交に貫かれているのは「闘争の哲学」である。毛沢東の活躍していた時代は「戦争と革命の時代」であったため、闘争を非常に重視しており、党内でも闘争を繰り広げた。それは対外関係でも同様で、革命期は日本帝国主義、戦後はアメリカ帝国主義、ソ連修正主義を「主要な敵」とした。当時は「戦争と革命の時代」であったため、「闘争」を押し出した外交は必要だった。

 ただその一方で、「実事求是」、つまり現実に合わせて柔軟に対処する面もあった。1953年に周恩来が提起した「平和共存五原則」は現実的な外交路線の例であろう。

周辺諸国との関係強化と同時に
大国にはものを言う

 習政権は発足後活発な外交活動を繰り広げている。それは先進国、途上国との関係をともに強化する「全方位外交」で、それは毛沢東思想のプラス面を受け継いで自主独立を堅持しつつ、「国を開く」ことを提唱した鄧小平の路線を継承している。「毛沢東回帰」といわれる習政権は自主独立の堅持のほかに、毛外交の次の四つの特徴も継承している。

 第一の特徴は、「共通の理念」を示し、各国との関係強化を呼びかけることである。習総書記は就任間もなく、「中国の夢」を国内に向けて強調したが、外交舞台においても、「中国の夢」は「世界の夢」にも通じるものがあると強調した。「中国の夢」自体は厳密な定義はないが、習総書記の発言など考えると、中国国内に向けたそれは「中華民族の偉大な復興」「人々の生活の向上」であり、国際舞台で強調したそれは「共同繁栄、ウィンウィン」と見られる。

 毛時代は中国の重視していた植民地国家との間では社会主義、共産主義の理念で連帯できたが、改革開放路線をとっている現在は「共通の理念」にはなりえない。そのため、各国との関係強化を呼びかけるための理念として、「中国の夢」を強調したのである。