売り主さんと会う当日は、行く道の風景を堪能する心のゆとりのない道中でした。何しろ、「お嬢さんを、ください」といった類の話をしに行くわけですから。
「どうも、ごめんくださーい」
玄関の外から声をかけると(インターホンはありません)、ほどなく、がらがらがらと玄関の扉が開き、中から初老の男性が出てきました。
「ああ、遠路どうもどうも、お待ちしていました。何もないですがまあ、中へどうぞ」
見れば、わたしの父と同世代くらい。
不動産屋さんと何度かお留守宅にお邪魔したときは「いつか我が家に……」と想像が膨らんだのに、こうやって今、この家に住んでいる方に出迎えられてしまうと、まるっきり他人の家にしか見えません。
玄関を上がってすぐの客間ド正面に飾られたお仏壇も神棚も急にリアルなものに感じられて、自分たちのヨソモノ感が際立ちます。
売り主さんはその時点では、別の土地に居を構えていてこの家には住んでおらず、親戚の方が土地の管理のためだけに月に二度ほど通いにきていると聞いています。それでもさすが元住み手、家と彼とが一体化して、わたしたちをじっと見つめます。
「はい、何しろ素晴らしいと思ったのは、この家からの外の風景です。他にもずいぶんいろいろな土地を見てまわったんですが、里山の美しさをこんな風に堪能できるのは結局この家だけでした。それで、田舎暮らしの右も左も分からない分際ではありますが、ぜひここで家族で頑張ってみたいと思った次第でして」
(本当に、いろんな土地を見てまわったよなあ……)
夫の話に妙な感慨を覚えつつ、そっと売り主さんの顔を見ると、うむ、うむと真剣に相槌を打つ様子。
そして、ひととおりこちらの思いの丈を聞いたあと、ゆっくりと口を開きました。
「ここはねえ、もうすっかり若い人たちがいなくなってしまって。残っているのは年寄りばかりですわな。おたくみたいな若い家族が来てくれるとね、きっと集落のみんなも喜ぶと思うんですよ。
ただね、本当に土地が広いから、草ぼうぼうにしないようにするだけでもねえあなた、大変ですよ。
わたしも今は、ここに毎日住んでいるわけじゃあないから、知り合いや親戚に手伝ってもらって何とか隣近所に迷惑をかけないようにはしてきたけど、それもしんどくなっちゃてねえ。思い切って売りに出すことにしたくらいでしてね。
何しろ先祖代々守ってきた土地なもんでね、やっぱりほっぽらかしにするような人には売るなって、わたしのまわりも言うんですよ。
今までもここを売りに出してから、何人か欲しいという人が訪ねてきてねえ、それでも結局、相手さんとの条件が折り合わなくてやめたんですよ。本当に気に入ってくれた人にだったら、渡してもいいかなと、思ってはいるんですけどねえ」